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2006年7月

2006年7月31日 (月)

エッセイの虎の巻:トピックを解読せよ!

久々にエッセーの話です。
もう、エッセーの話はいいよ~、という方にはごめんなさいね。

今までさんざんエッセーを書くには文献が大事だと言う事を書いてきました。

文献よりも何よりも、もっと大切な事があったことを忘れていました。
なによ、早く言いなさいよ~!!って?

すごく基本的なことです。

まず、エッセーを書くには先生から提示されたトピックを理解する事が大切です。

先生は何をエッセーに求めているのか?
討論なのか?(Argue)
分析なのか?(Analyse)
それとも批評なのか?(Criticise)
などなど・・・。

それ次第でエッセーに書く内容ががらりと違ってしまいます。

例えば、先生が「看護の歴史について分析しなさい。」との問いに
「看護の未来についての分析」(歴史について一言も触れていない)について書いてしまったら、どんなに素晴らしい多くの文献を引用したとしても、
「いいんだけど~、ちょっと的がずれているのよね・・・。」
と言う事になりますよね。

OFFトピック(トピックから外れる事)は減点の対象になりますので、
まず文献を探す前にトピックを穴が開くほど繰り返し読み、
先生の求めている物を理解しましょう!

これを理解できたら、エッセーの3分の1はクリアした事になります。

がんばりましょうね。

けい

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2006年7月30日 (日)

キケロ

始まりは、どんなものでも小さい。

キケロ

「奇跡の言葉」 鏡リュウジ著
学習研究社

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2006年7月29日 (土)

賢いお金の貯め方

  よ~く考えよ~♪お金は大事だよ~♪

と言う歌がどこかのCMで流れていましたね。

そう、今日はお金の話。
留学はお金がかかる。
学費、食費や交通費、家賃などを含めた生活費、そして交際費まで入れたらどんだけあっても足りないよね。

生活費は自分で切り詰めればパースでなら日本より安く生活できるが、
学費は永住権を持っていない限り留学生料金となり現地の学生の授業料より4~5倍はする。

何とか、仕事する時間があり、それに見合った仕事が見つかればいいが、
AUSの生活や学校生活に慣れるまではお金は出て行く一方で、
それが不安に拍車をかけたりもする。

そんな中、簡単に合法にお金を増やせる方法がある。

     それは定期預金。

ご存知の方も多いかもしれないが、AUSの定期預金は利子が高い。
日本からドガっと送金してもらったら、使わなければ定期預金に入れておくだけで3~6ヵ月後には利子がついて戻ってくる。

こんなおいしい話はないでしょう?

この話しをUNIの友人NOWちゃんから聞いた時は今まで何もしないで銀行に預けっぱなしだった事をすごく後悔した。

と、言う事で早速、銀行に行って来ました!

定期預金はTERM Deposit。
私はANZを使っているので、例えば5000ドルを6ヶ月定期に入れると
レートが5.70%つく。
ちなみに1年だと6.2%
銀行員の話だとTAXいろいろ引いて上の料金だと140~150ドルはつくと言う。
何もしないで6ヶ月でこれだけ増えればいいよね?

金額や貯蓄額は選ぶ事ができ、どれだけの金額をどれだけの期間入れるかによってもレートが違ってくる。

もし興味のある人は銀行の人に相談してみてください。
6ヵ月後が楽しみ~!!

けい

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2006年7月28日 (金)

仕事復帰

パースに帰ってきてから初めてお仕事にいってきました!

パースに帰ってきて当日の午前中にボスから電話があり、
「金曜日働けないかしら?」
と、
「今朝帰ってきたんですよ!日本から。」
ボス「あらそうなの?一番の電話がこんな事でごめんなさいね、でも、どうしても人が足りなくて・・・。で、できるかしら?金曜日?」

Kay「は、はい・・・。」

それ以外言う言葉が見つからなかった。
半ば強制?

ま、他にすることもないし、(勉強しなさい!!勉強!!)
イヴちゃんにも会いたかったので行ってきました。

3週間ぶりのナーシングホームの居住者さん、いつも見る顔ぶれが少し変わっていた。
いつもかわいがってくれていた、おばあちゃんが2人亡くなっていた。
そして入れ替わりに新しい人が入っていた。

わかっていても、やっぱり悲しいし寂しい。

そんな中、私の心のオアシス、イヴちゃんは健在だった。
髪が少し伸びていたが、いつもの愛らしい笑顔で私を出迎えてくれた。
って、いうか、私が3週間いなかったことなんてたぶん気がついていなかったんだろう。

Kay「イヴちゃん!会いたかったよ~~!!私のこと覚えてる??」
イヴ「えぇ!!ふふふ・・・。」
Kay「私の名前も覚えている?」
イヴ「いいえ、まったく見当もつかないわ。」
Kay「私がいなくて寂しかった?ね?寂しかった?」
イヴ「うん、ぅん」
Kay「私も寂しかったよ~!!イヴゥ~~!!」
と言ってぎゅっとすると、
「もういいからあっち行って」と払いのけられてしまった。

久しぶりなのに冷たいのね・・・イヴ。

とにかく、元気そうで良かった。

他のスタッフも変わりなく、元気で、みんなが
「お帰り~~、寂しかったわ~」と笑顔で迎えてくれた。
とてもうれしかった。
一人のスタッフに「みんな、Kayはどうしたんだ?って、気にしてたわよ。元気で帰ってきて、みんな喜ぶわ。」と言われた。
誰かが待っていてくれるのって、うれしい。

私これからも一生懸命働きますから!!

けい

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2006年7月27日 (木)

峠は決定をしいるところだ。
峠には決別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする。
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいっていけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。
峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
たとえ行く手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ。
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる。

真壁 仁

「ポケット詩集」童話屋より抜粋

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2006年7月26日 (水)

パースに帰りました

昨日の朝、無事にパースに到着しました。
帰りのフライトでは、隣に座った福島の高校の英語の男の先生(日本人)といろいろとお話させていただきました。

パース空港では税関・検閲でひとバトルあるかと思いきや、
申告した物も没収されず、すんなりと事なきを終えました。

空港にはFちゃんが朝から眠い目をこすり、迎えに来てくれました。
途中で、食べ物と飲み物を買い、私の家に到着。

ポッサムに食い散らかされた形跡もなく、部屋は私が出たときのままでした。
3週間もいないと私の匂いも消えるのか、
私の部屋なのにちょっとよそよそしい匂いがした。

買ってきたシャンパンで昼間からFちゃんと乾杯し、
続いて私が日本から持ってきた日本酒を飲みながら今までのお互いに起こったことを話した。

夜には仕事を終えたミッキーも参加。
3人で飲みながら夜を明かしました。

朝起きて、ベランダから外を見る。
その何気ない光景が、私にぁ~、パースだ、帰ってきたんだと
思い起こさせた。

明日はUNIのオリエンテーション。
そして来週からは授業が始まる。
頑張ろう!!

けい

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2006年7月24日 (月)

行ってきます・再び!

今夜の飛行機でパースへ帰る。

日本での3週間があっという間にすぎてしまった。
今回はANNEちゃんというオージーのお友達も一緒で、彼女の目を通して、そして自分の目を通しても、日本の良さを再確認することが出来た。

今回の日本の滞在で、私はとても中途半端なように感じた。

パースでは私は思いっきり外国人だ。
そして日本でも、今は働いているわけでもなく、私はただの観光客にすぎない。
旅の要所要所で、
「やっぱり日本はいいな~」
と感じた。

それと同時に、どうしてこんな良い日本を出てまで海外で頑張ろうとするのか?と言う疑問もわいてきた。

   「日本に帰ってこようかな~。」

私の口からポソリとこぼれ落ちた言葉。

カオリはその言葉を受け止め投げ返すように言った。
「馬鹿だな~。あんた、今はあんたは観光で帰ってきているから、そう思うんだよ。」

それだけじゃないけど、カオリの言葉は当たっている。
何処へ行こうが、観光なら楽しい。
生活すると言うことは、辛いことや悲しいこと、見たくないものまで見えてくる。

私はパースに行くときに決めたのだ、

ここで暮らそう、と。

パースに帰ろう。
お友達も、屋根裏のポッサムも待っててくれる、パースへ。

今回の帰国では、たくさんの方にお世話になりました。
ありがとう!
綾子さん、Mikeちゃん、Junちゃん、YUKI、K籐さん、Miyukiちゃん、Tomoちゃん、Osamu、秋田の病院のK主任さん&ご主人さん、Goさん御一家、Sayuriさん、Yuko,Mayumiさん、Satomiさん、秋田英会話のMeikoさん、SHINさん、chiaki,Angela,ブライアン、グレッグ、ここでは書ききれませんが、たくさんのお友達。

そして、カオリ夫妻。
本当に、本当に、ほんと~~~にお世話になりました。
いつもわがまま大王でごめんなさいね。
このご恩は一生忘れませんョ。

私の人生に入ってきてくれてありがとう!
そして私のことをいつも気にかけてくれて、覚えていてくれてありがとう。

あなたからの「お帰り」があるから、私はパースで頑張っていけそうです。
帰るところがあるから、待っていてくれる人がいるから、後ろを振り向かずに安心してまた前へと歩き出せそうです。

心から、ありがとう。

そして、行ってきます!!

けい

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2006年7月23日 (日)

プチ失恋

プチ失恋をしました。

今回の帰国で、会いたい人は沢山いました。
その中でも、秋田では特にアメリカ人のグレッグに会いたかった。
彼は私がパースに行く前に3ヶ月ほど付き合っていた?人で、出国の後もメールのやりとりがたまにあったのですが、
元彼とつきあうようになってから、メルアドも換え、連絡も取れなくなってしまいました。

彼の仕事場が変わってなければ、今回あえるかも!?

淡い期待を胸に104で彼の仕事先の電話番号を調べる。
お昼休みを見計らって、彼の職場に電話をかけた。
 
    ドキドキ・・・。

電話口に出た事務の女性にグレッグがいるかを尋ねる。

 どうかまだいますように・・・・。

   ドキ ドキ ドキドキ・・・

     胸が高鳴る。

「申し訳ありませんが、ただいま、席を外しております。 0X時には戻ると思いますが。」

と事務の女性が答えた。

 グレッグはまだ日本にいた!!

それだけでうれしかった。
もう一度、戻ると言われた時間に電話をかけ直した。

彼はまだ戻っていなかった。
事務の女性に私の名前と携帯電話・自宅の電話番号を伝え、後でかけ直してもらうように伝言を残し受話器を置いた。

  サイは投げられた。

これで、彼からかかってこなくても、それは彼のチョイスだ。
私はやることはやった。
後は待つのみだ。

2時間後、グレッグから電話がかかってきた。

「いつ帰ってきてたの?」
「う~ん。一週間ぐらい前かな?」
「げんき?」

とたわいのない会話の後、3日後に秋田市内でご飯を一緒に食べることになった。

久しぶりに会えることになって、初デートのようにすごくドキドキしていた。

顔の産毛も剃ったし、むだ毛も処理した。
お化粧も濃くならないように、それでいて、崩れないように気を遣ったし。
行きの車の中ではノリノリの音楽をがんがんかけて、
グレッグの待つ秋田市内へを急いだ。

1年以上前の彼との思い出がよみがえってくる。
そのとき車を走らせた峠道は白い雪道から夏草が茂った深緑の道へと変わっていた。

久しぶりに再会したグレッグは髪を短く切り、少しからだが引き締まっていた。
「変わらないね~。」
「でも、もう、おばさんって年でしょ?」
相変わらず、彼は意地悪だ。

最後にお食事したレストランへ、二人で歩いて出かけた。

こうやって焼け木杭に火がつくのであろうか?

ご飯を食べながら、これまでのことを話した。
オーストラリアのこと、UNIのこと、元彼のこと、最後にメールを出したのはオレだ!私だ!!とか。

おなかも少し落ちついてきたときに、一番気になるあのことを聞いてみた。

「彼女出来た?」

彼は少し照れながら困った顔をして、ゆっくりと静かに答えた。

「ぅ~~ん、いると言えばいるかな。」

わかってはいたが少しショックだった。
焼け木杭に火がついていたのは私の方だけだったのか・・・。

彼が幸せになるのはいいけど、やっぱり、私はいつまでも彼の中の1番でいたかった。
ここで、よりが戻ったとしても、この先私はオーストラリアへ帰るし、どうなるわけでもない。
すごく戻りたかったのかと言えばそうでもないような気がする。

ただ、私にたとえ私に新しい彼ができたとしても、グレッグの中ではずっとずっと一番でいたかった。
ただそれだけだ。

すごくわがままなのもわかっている。

子供が手を離れ自立していく時ってきっとこんな感じなのだろうか?
もう私のことは必要ではない。
だって、彼には私以上に大切な人が出来たから。

私が独り身だからよけいに寂しく感じる。

くそ~~!
私も絶対いい人見つけてやる!!(笑)

と、心に固く誓った今回の帰郷でした。

けい

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2006年7月21日 (金)

Good Luck

運は、呼びこむことも、引き留めることもできない。
幸運は、自らの手で作り出せば、永遠に尽きることはない。

誰もが幸運を手にしたがるが、
自ら追い求めるのはほんのひとにぎり。

幸運が訪れないからには、訪れないだけの理由がある。
幸運をつかむためには、自ら下ごしらえをうする必要がある。

欲するばかりでは幸運は手に入らない。
幸運を呼びこむひとつのカギは、人に手をさしのべられる広い心。

下ごしらえを先延ばしにしてしまえば、幸運は絶対に訪れてはくれない。
どんなに大変でも、今日できることは今日してしまうこと。

自分の知っていることがすべてとは限らない。
幸運をつかむには、あらゆる可能性に目を向けなくてはならない。

偶然しか信じぬものは下ごしらえをする者を笑う。
下ごしらえをする者は、なにも気にしなくていい。

幸運をえさにするような人は信じないこと。
幸運は売り物でも、道具でもないのだから。

できることをすべてやったら、焦らず、あきらめぬこと。
自分には必ず幸運が訪れることを信じ、甘い言葉には耳を貸さぬこと。

幸運を作るというのは、チャンスに備えて下ごしらえをしておくこと。
だがチャンスを得るには、運も偶然も必要ない。
それはいつでもそこにあるものだから。

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2006年7月20日 (木)

母の事

今日は母の命日。

私の母は3年前の2003年7月20日午前6時49分、
自宅で家族に見守られながら息を引き取りました。
享年64歳でした。

私の母はやさしく、上品で気丈で心の強い人でした。
母は準看護師でした。

母は幼い頃に父(私の祖父に当たります)を亡くし、それが看護への道を目指すきっかけとなったと話してくれました。

かつて住んでいた横浜の家には医学書や看護雑誌や本が沢山あり、常にそれを読んで母が勉強していた事を覚えています。

私が高校生の時にそれからの進路を決める時、
「看護学校へ行こうかな。」と言った私に
母はすごく反対しました。
「そんな成績でなれると思ってるの?なるなら、正看護師にしなさい。」と。
その時の母はその後、私が看護学校に合格し同じ看護の道を歩む事になるとは夢にも思っていなかったでしょう。


私が看護学生だった時、母の勤める診療所で訪問看護の実習を一緒にさせてもらったことがあります。
後にも先にも、母と同じ白衣を着て同じ現場に立てることなどはそれ以降ありませんでしたが、
訪問先での患者さんに「私の娘なの、体ばかり大きくて。」と謙虚ながらも自慢げに紹介する母。

私はいつも母が自慢でした。
それと同じようにひとときだけでも、母の自慢の娘になれたと、
私は娘としてすごくうれしかった。

看護師になってからも母は同じ女として看護師としていつでも私の話しを聞きよきアドバイスをくれました。

そんな母が引退してから秋田に父と引っ込んでから数年もしないうちに肺がんにかかってしまった。
初期の診断では「高分化性肺腺癌」で、小細胞癌などに比べて比較的進行も遅く予後も良好だと母の主治医から説明を受けました。
その後すぐ手術となり、右の肺下葉を摘出し、化学療法も受けることなく回復も早く術後2週間で退院となりました。
2002年のFIFAワールドカップを母の病室のベットで応援したのを覚えています。


母が秋田の総合病院を退院し自宅に帰り、その後も紹介された近医で診察を受けていました。

2003年2月、手術から8ヵ月後、
母の左の肺へのがんの再発が認められましたが、
その時点での手術は適応にはならず、抗がん剤での治療が始まりました。
今の医療や薬をもっても、母のがんは小さくはなりませんでした。
もうこの時には母は自宅で最期を迎える決心をしていたのだと思います。
経口の抗がん剤へ切り替え、4月には退院し自宅へ戻りました。
私も5月に東京の職場を退職し、秋田の母の元へ戻りました。

2003年6月までは在宅酸素を使用しながらも母の日常生活には何も支障はありませんでした。

7月に入り38度台の発熱が1日1回出るようになり、近医受診し、肺炎を起こしており点滴加療目的のため7月9日入院となりました。

入院中から呼吸困難がたびたび起こっていて、ベットの横に座るのもしんどい様子でした。

点滴加療後、発熱は落ち着きましたが呼吸苦はあまり改善されませんでした。

退院する前日に撮った胸のCTの結果では、
「肺全体に癌が広がっていて酸
素もあまり入ってない状態、そして肝臓にも癌の転移が見つかったのでおそらくあちこちもっと広がっていると思う。進行が本当に早いですね。」
と言われました。

母には病状の進行の話はしていませんでしたが、もう残された時間は少ないと自分で覚悟してるみたいでした。

そして「うちに帰りたい。」と言うので2003年7月15日に退院しました。

退院後は、食欲はあったりなかったりで、母の食べたい時に食べたいものを食べるようにしていました。

意識は明瞭で、調子の良いときは話をしたり写真を見たり、テレビで大好きな相撲を見たりしていました。

調子の良い日はすごく良くて(でも歩いたりは無理でした)家族全員がこのまま明日もこの状態が続けば良いなと祈るような気持ちでした。

幸い父もそして東京より帰省していた兄も手伝ってくれたので、家族全体で団結して母に残された時間を楽しく過ごそうと努力することができました。

こんな言い方変ですけど、退院してから母が亡くなるまではすごく濃い時間をすごした気がします。

ここ15年ぐらい家族がそろってこんなに長い時間を一緒にすごすことがなかったので、すごく充実していました。

7月19日あたりから呼吸困難が増強し始めました。

20,21日と連休になってしまうので、連休だけでも入院してはどうかと家族で相談しましたが、母は最期まで「家に居たい。」との希望でした。

20日の明朝より呼吸困難が悪化し、枕元に集まった家族(父、兄、母の姉、私)一人一人に「ありがとう」と告げ、午前6時49分永眠しました。

意識は最後の呼吸が止まるまではっきりしたおりました。

さぞ苦しかったと思います。

苦しかったのに私は、何もしてあげられませんでした。

ただ、体をさするしかできませんでした。

永眠した母の顔はすごく安らかな顔をしていました。

楽になったのだと思いました。

看護師である前に娘である私。
でも、家族にとっては医療者である私。
自分の力があまりにも無力で情けないと感じました。
今でも、私には何が出来たのか?
これでよかったのか?と母のことを思います。

これは私にとって、母が残してくれた宿題だと思っています。

けい

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2006年7月19日 (水)

泣かないで

私の墓に立って泣かないで。
私はそこにいないから。
私は眠らないから。
私は吹きわたる千の風。
私はきらめく白雪。
私は実った穀物を照らす日の光。
私は秋の雨。
朝のしじまであなたが目覚めるとき、
私は輪を描いて飛ぶ群れから
さっと踊りあがる小鳥の羽音。
私は夜空に輝く星。
私の墓に立って泣かないで。
私はそこにいないから。
私は眠らないから。

作者不明

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2006年7月18日 (火)

あれから10年

今年の5月に10年間続けていた郵便局の簡易保険が満期となった。

思い起こせば10年前、新社会人となり初任給(の明細書)を貰い、
その足で郵便局へ行った。
貯金をするためだ。

郵便局の窓口で積み立て定期をやりたいと申し出た。
そこにたまたまいた局長さんが私の話を聞き、
こんな話をした。

「Kayさん、今ねこんなのがあるんだよ。」
と、局長さんが取り出したのは『簡易保険』のパンフレット。
「毎月5万円を積立するつもりなら、3万円を積立にして残りをこっちでやってみない?」

KAY「え~~・・・。毎月2万を10年も出来るかな?」
と渋る私に局長の売込みが始まった。

「Kayさん、今年、新卒で入って、あと3~4年働いて、たとえば24~5歳で結婚するとするよね。その後に子供が生まれてその子が小学校に上がるときにはお金が必要になってくるよ。そんな時にちょうどこの保険が満期になって、お金が下りてくるって計算だよ。」

「そっか~。そうだよな~、局長さん頭良いね!」
なんて、のんきにまだわかりもしない10年後の事を頭に描き、簡易保険を契約した。

あの時は10年後の局長さんの読みがことごとく外れるなんて夢にも思っていなかった。
きっと局長さんだって、そうなると思っていたのに違いない。

あれから10年、仕事を辞めても、オーストラリアに行ってた時でも保険料2万円を毎月支払い続けた。
満期になった保険料は、自分の子供のためにも結婚資金にも使われることなく、まったく違った使い方をされるだろう。

それでいいのだ。
結局10年後のことなんて誰にもわからないってこと。
だから人生は面白い。

けい

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2006年7月17日 (月)

恒例の大掃除

オーストラリアから今回いっしょに日本へ旅行に来ていたANNEちゃんが15日にオーストラリアへ帰り、
彼女と入れ替わりに兄が東京から帰省してきた。

家族水入らずで、のんびりと・・・・過ごすつもりが、
我が家はいつも忙しい。

母がなくなった後、兄が秋田に帰って、家族3人がそろうと
必ず始まるもの。

    それは家の大掃除。

なぜだかわからないが、いつもそうなる。

今回は私が1年ちょっとぶりに帰ったので
二階の3部屋の床掃除&ワックスかけと、
キッチン掃除をすることになった。

床掃除は前にこのブログでも紹介した看護学校式スタイルがこの私の家にも強く根付いている。
もちろん私が導入した。
床掃除は兄と父に任せ、私はキッチン掃除に専念することに。

普段は父一人でこの家に暮らしている。
キッチンの換気扇はおそらく私が出国してからは手をつけることなく放って置かれたのであろう。
油でギトギトであった。
冷蔵庫には賞味期限切れの食べ物がぎっしり詰まっており、
冷凍庫には私が出国する前から冷凍保存した豚肉などもそのままの形で保存されていた。

  男の一人暮らしなんてこんなもの?

「捨てるのがしのびない。」と、父が言うので、
私が片っ端から捨てさせていただきました。

掃除し終わった冷凍庫は見事に空っぽ。
キッチンもピカピカになりました!

あ~~~!!スッキリです!

けい

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2006年7月16日 (日)

舞妓・パパラッチ!

清水寺を観光した後、本当は三十三げん堂に行く予定だったが
時間がPM4時をまわっていたのでその日は諦め、
その代わり、花見小路に戻ることにした。

理由はANNEちゃんがどうしても舞妓さんの写真を撮りたいといったから。

その前の日のタクシーの運ちゃんに運がよければ夕方4~5時ごろ髪の毛をセットした、『出勤前の舞妓さんが浴衣姿で見られる』との情報を聞いたので、それに賭けてみた。

花見小路は観光客でにぎわっていた。
舞妓さんがいる置屋さんを何軒か見てまわり、その前で写真を撮る。
舞妓さんどころか、浴衣姿の女性もいない。

  いったい何処に行けば舞妓さんを見ることが出来るのか?

ANNEちゃんと、
「舞妓さんいないね、どうしよっか・・・?」
と話していると、電信柱の影から声が。

「今日は舞妓さんはお休みなんだよ。」
電信柱にもたれる様に立つ一人のおっさん。
片手にはビニールコートされた紙袋、クビからはオリンパスのカメラを下げている。
彼はたどたどしい英語で自己紹介をした。
「僕の名前はロバート。よろしく。」

  ロ、ロバート???

って、どう見ても普通のおっさんですけど!!
「ぁ、これイングリッシュネームね!」
と、付け足すロバート。

ぇぇ・・・わかってますけども。

彼の話によると、毎月第2と4日曜日は舞妓さんの休日で出勤する人も少ないのだとか。

そっか・・。残念だね。。。

ANNEと私が首をもたげてると、
ロバートが言った。
「ぼく、舞妓さんが絶対に見れるところ知っているけど、7時30まで時間ある?」
あと一時間30分もある・・。
どうしようか、と話す私たちに、ロバートは自分が撮った舞妓さんの写真を見せてくれた。

もちろん写真は素人なんだけど、そこに写っている舞妓さんはとても綺麗だった。
その中の1枚をANNEちゃんに記念としてくれた。
大喜びのANNE。
よかったね~!!

二人で喜んでいると、なにやら、右手の方に人だかりが。

     舞妓さんだ!!

舞妓さんを写真に収めようと舞妓さんの周りに人垣が出来る。
その人垣をくぐり抜け、すたすたと歩く舞妓さんの姿は実に凛々しい。

私たちも、舞妓さんをとろうと近づくが、時既に遅し。
舞妓さんは遥かかなたへと去って行ってしまった後だった。

1人いるって事は又出るかもしれない。

そんな期待が胸をよぎる。
「こっちだよ」とロバートが案内してくれた、花見小路の裏道を抜け
次の舞妓を狙う私たち。

また、ひょっと何処からもなく舞妓さんが現れる。
それをカメラ片手に追いかけるロバート。
そして、ロバートに続くANNEと私。

その後も、何人かの舞妓さんと遭遇し、
その姿を何とかカメラに収めることが出来た。

そこへ、他のカメラマンが登場。
彼の名前はタケシというベトナム人。
ライカのカメラを首から下げ、置屋さんの前で舞妓さんの出待ちをしていた。
「置屋さんの前にスクーターが止まってるだろう?これは着付け屋さんのバイクで今、中で舞妓さんに着物を着せているんだよ。だから後もう15分ぐらいで出てくると思う。」と情報をくれた。

タケシとロバートと共に出待ちをする私たち。

ね、これって、もしかして追っかけ??

そんな事を思っているとチャリに乗った情報屋が現れた。
「あっちに黒塗り(タクシー)が3台今、停まってますので、もうすぐではると思いますよ。」
その情報を素にロバートも私たちも黒塗りタクシーのそばへ移動。

すると、見事に5分後に舞妓さんが次々と出てきてタクシーに乗り込んだ。
その隙をすかさず、カメラで激写!!
あっちに出る!と聞けば、すかさず走るロバートとANNEと私。
気分はもう既にパパラッチ状態!!

すごく楽しかった。
ロバートや情報屋のおかげでよい写真がたくさん取れました!
ありがとう!

十分に写真を撮り終えると、ロバートにお礼を言って別れた。

もしロバートに出会えなかったら、あのまま家に帰っていたかもしれない。
それにこんな写真も絶対に取れなかったであろう。

その夜、今日のことを振り返り、ANNEに「縁」の話をした。
ロバートと私たちが会ったのも、何かの「縁」だし、
この「縁」というのを日本人はとても大切にするという話。

なんとも不思議な縁というのもあるもので、
人は皆、何かの縁でつながっていると。
ANNEちゃんは「わかる」と目をきらきらさせてうなずいていた。

これからも良いご縁が有りますように。
今日はそんなお話。

けい

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2006年7月15日 (土)

京都旅行・続編

京都旅行の続きです。

京都2日目は、京都見物に行きました。
お休みだったK藤さんに朝早くから、嵐山へ車を出してもらい
大覚寺へ行きましたが、9時前だったので見学できず、
金閣寺前で下ろしてもらいました。

金閣寺、修学旅行の中学生と入場待ちです。
千葉から来ていた、中3の学生グループとちょっと仲良くなりました。
このグループとはこの後に行った、二条城で、又ばったり会い、
一緒に写真を撮ってくださいと言われました。
ANNEちゃんは「なんで??」と不思議そうでしたが、
「ま、思いで作りだよ。」という私と一緒に笑顔で写真を撮りました。

二条城は中学の修学旅行できたときに、時間切れで城の前まで来たのに入れなかったという悔しい思い出があり、
今回はなんとしても入りたかった!

そんな念願の二条城を見学。
鴬張りの廊下をそろそろ歩き、じっくりと堪能してきました。

その次は舞妓さんで有名な祇園の花見小路で、街中の写真を撮り、
清水寺へと坂を上りました。

坂の途中で若い女の子2人と男の子1人のグループに話しかけられました。
「あの、お友達と話をさせていただけますか?」と。

   ??新手の勧誘かしら??

と思いつつ話を聞くと、
なんと、関西外国語大学のIGCというサークルの学生さんで
無料で清水寺の英語のガイドをしてくれるという。

ぁの、まさか貴方たちの入館料は私たち持ちでしょうか?

とケチなことを聞くと、
清水寺からもちゃんと認可を得ていて、私たちの入館料だけを払うだけで
彼女たちは無料らしい。

   すばらしいね!!

流石!観光都市、京都!
無料英語通訳ガイドなんて、旅行者には願っても無い話だし
その上、学生さんたちにも英語の勉強やコミュニケーション・ガイドの経験にもなって、まさに一石二鳥だね!!

それをちゃんと認可している、清水寺もすばらしいと思う!!
大いに頑張ってほしい!

3人の学生さん(りかさん・まなさん・ゆうすけさん)が丁寧に最初から最後まで一生懸命にガイドしてくれて、すごく勉強になったし、面白かった。
本当にありがとう!

是非、外国人の友達と清水寺に行ったら、清水寺の前の坂をうろうろしてみて欲しい。
運がよければ、このすばらしい日本の未来を担う学生さんたちに出会えるかもしれない。

けい

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2006年7月14日 (金)

すべては1から

      One

1つの歌がひとときをきらめかせ、
1輪の花が夢に気づかせる。
1本の木から森がはじまり、
1羽の鳥が春をつげる。

1つの笑顔から友情がはじまり、
1度の握手が魂を高める。
1声があって対話がはじまり、
1度の触れ合いであなたの気配りがわかる。

1つの言葉が目標を作り、
1つの星が海上の船を導く。
1すじの太陽が部屋を明るくし、
1本のロウソクが暗闇をぬぐい、
1つの笑いが憂いを吹き消す。

1つの言葉から祈りがはじまり、
1片の希望が気分を高めてくれる。
1歩の踏み出しから旅立ちがはじまり、
1つの心で真実を知ることができる。
1票の投票が国を変え、
1つの命で影響を与えることができる。

わかるだろうか、
あなた1人がどんなに重要であるか、すべてはあなたにはじまり、
あなた次第なのだ!

作者不明

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2006年7月13日 (木)

奈良・京都

京都ですよ!京都!!
最後に行ったのは中学の修学旅行でしたので、
何年ぶりかしら?

あの頃はまだまだ青くて
京都の「きょ」の字も分からず、
考えるのは、
「いかに自分の好きな人と良い思い出を作れるか」
だけでした。

  ぃぇぃぇ、片思いでしたよ。
   もちろん!!

今回の旅行で京都は大人になってから行く町だと
思いましたよ。

新横浜から新幹線に乗り、京都に着くと
新幹線のドアが開くと同時にあの、「もぉぁあっっ」とする
熱気で体中が包まれました。

  あづ・・・・(暑)。

京都は暑いと聞いていましたが、
これは予想以上です。。。。

コインロッカーに荷物を置いて、京都から奈良に向いました。

奈良では、ANNEちゃんご希望の東大寺の大仏を見て、
春日大社を見学、そして奈良公園で鹿と戯れてみました。

東大寺の大仏のあるお堂の中、大仏の左斜め後ろにある柱に穴が開いているのは有名ですよね?
そこで写真を撮り、ちょっと穴くぐりにもチャレンジしてみました。

  もちろんひっかかったの?

と想像した方。

はずれです。
見事くぐり抜けることが出来ました!!

でも、ここくぐり抜けられたからといって、
どうなの??
何かご利益があるのかしら??
もし、ご存知の方いらしましたら、
教えてくださいね。

そんなわけで、奈良観光の後に京都に戻り、
カオリンのだんなの友人(今回初めてお会いします)K藤さんの家に
お世話になることになりました。

さてさて、いよいよ京都観光編ですよ~~!!

けい

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2006年7月12日 (水)

ファイナルエクザムの結果発表

今日は京都の旅行記の続きを書くつもりでしたが、
前期のファイナルエクザムの結果が出たので
そっちの方を書きたいと思います。

今日の夕方5時過ぎに、ファイナルエクザムの結果の発表があった。
結果はオーストラリアから遠く離れたここ日本でもインターネットで知ることが出来る。

世の中便利になったものです。

大学のホームページにアクセスし、結果発表を見ました。

SCPH・・・・
あの、最終試験前日にワールドカップの日本戦を見に行ってしまった次の日のことですよ・・・。

結果は、パスしてました。
良かった・・・。
本当にほっとしてます。

本当に良かった・・・。
あまり良いとはいえない成績だけど、
パスはパスなのです!
今夜は安心して眠れます。

けい

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2006年7月11日 (火)

ビバ!!買い物天国?

ご無沙汰しております。
KAYでございます。

今日、無事に秋田の両親の実家にANNEちゃんと到着しました!!
秋田、暑いです。
父から電話で、「寒い、さむい」と聞いていたのでわくわくしていたのですが・・。(だって、横浜も京都も暑かったから・・・。)
大館能代空港到着時の気温は30度・・・。
日本の夏・・・暑すぎです・・・。

さてさて、日本に帰国してから今まで、いったい何をしていたのかをちょっと書きたいと思います。

まず、帰国後2日目はANNEちゃんの東京見物をカオリンにお願いし、
「綾子さん」にお会いしました。
綾子さんは私の高校時代からの友人ミケちゃんの仕事仲間で
ちょうど同じ時期にブログを立ち上げ、その綾子さんのブログをミケちゃんから紹介され、はまり、ついにお会いできることとなりました!

ブログの写真以上に美人でそれなのに気取るところが無く、すごく気さくなのに言葉の端はしに気品が感じられ、とてもすばらしい方でした!
綾子さんに1時過ぎまで飲みに付き合っていただいて、かなりディープな話まで出来、すごく楽しいひと時でした。
私もあんな女性になりたいと思います。

さてさて、3日の月曜日は秋葉原でデジカメとMP3を買い、渋谷の109で年甲斐も無く服を買い、渋谷の眼鏡屋でめがねを買い。

7月4日は横浜・桜木町のワールドポーターズで時計を買い、化粧品を買い、300円ショップで鏡を買い、本を買い。 
夜はカオリンの実家でご飯をご馳走になり、カオリンにANNEちゃんと一緒に浴衣を着せてもらい、近所にある縁日にも、行ってきました。
その後は19歳の時から行きつけのショットバーで元彼と、立派な1時の母になったミユっキーにあい、語ってきましたよ。

5日はカオリンがお休みだったため、カオリンとANNEちゃんと一緒に東京見物に繰出しました。
大雨の中の、浅草、そして河童橋。
他の誰よりも目を輝かせ、お土産やキッチン用品を買いあさるのはANNEではなく、私でした・・・。

6日は朝から三鷹にある行きつけの美容院へ髪を切りに行きました。
ANNEちゃんは新宿までは一緒でしたが、私が髪を切る間、一人で東京見物。
比較的安全な東京と言う町を自分なりに満喫できたみたいだった。

そして、7日の夜は高校時代からの友人とANNEちゃんを含め6人でお食事。 
ANNEちゃんも色々な日本語を習得し、リスニングもかなりUPしてきた様子。

ここまで書いて、「ぇ? ていうか、買い物三昧ジャン?」と思うかもしれません。
そう、私はまるで買い付けの商人のようです。
だって、欲しいんだもん・・・。
私が買いあさる姿を見てANNEちゃんもちょっと口をあんぐりしてました。

そして1週間、お世話になったカオリン宅を後にANNEちゃんと私は京都に向うのです。
この先に私たちを待ち受けているものは何なのか?

この続きは又明日。

けい

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2006年7月 5日 (水)

笑顔

     A Smile

費用は一切かからないのに、
たくさんのものを生み出す。

これを与えて減るものは何もなく、
もらった者はみな豊かになれる。

それは一瞬のうちに現れ、
その記憶は永遠に残ることもある。

どんな金持ちでもそれなしには、
心から豊かになることはできない。
どんなに貧しくてもそれがあれば、
豊かな気分を味わえる。

それは家族に幸せをもたらし、
商売では暖簾をもたらし、(のれん)
友達同士では合言葉になる。

疲れた人には休息を与え、
落ち込んだ人への夜明けとなり、
悲しむ人への暖かい陽射しとなり、
悩む人への自然治療薬となる。

でもそれは買うことも、無心することも、
借りることも、盗むこともできない。
なぜなら、それは人に与えるまでは、
誰にも役に立たないものだから。

もし友達の誰かが疲れていて、
あなたに笑顔を見せられなかったら、
あなたが笑顔を彼に贈ってあげよう。
与える笑顔が残っていない人ほど、
笑顔を求めている者はいないから・・・

作者不明

「Yes,I can.」
スバル舎
マリア・コーミック、久保博正 (翻訳)より

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2006年7月 3日 (月)

エージェントの仕事先

今日は看護エージェントの仕事先に付いて書きたいと思います。

   エージェントって主にどんな所に仕事に行くの??

主に仕事が入るのは「ナーシングホーム」です。
次に「病院」。
そして、「重症心身障害児などの施設」や「脊椎損傷などの人のための施設」「リタイヤメント者のためのホステル」、「グループホーム」、はたまた、「障害者を持つ一般家庭」まで、その仕事先は数知れません。

グループホームとは体に何らかの障害を持つ人たちが何人かで集まり1つの家に暮らしています。
施設とは違いすごく家庭的。

ある時行った仕事先は普通の家で、小児麻痺の患者さんの家族が帰ってくるまでお世話をするもので、トイレ以外は何も介助がなく、ご両親が帰ってくるまでずっと一緒にTVゲームをしていました。(これも仕事です!!笑)

私が自分を日本人だと思ったことは、仕事に行くと、何かをしていないと気がすまないことに気がついたときでした。
ある日に、グループホームへ仕事にいったときの事。
グループホームには4~5人の障害者の方が暮らしていて、その方たちが外出から帰ってきたらシャワー介助をすると言うのが私の仕事でした。
でも、私が言った時は1人を除いて誰もホームに帰宅しておらず、やる事がなくて
そわそわしていました。

何度も、そこに勤めていたケアラーかEN(準看護師)?だったと思われるセバスチャンに
「何かすることありますか?」
としつこく彼が動くたびに、ついてまわった。
彼は仕事を言い渡すどころか、
私に「何か飲む?コーヒーが良い?それとも紅茶?おなかすいてる? サンドイッチ食べる?」と聞いて来ました。

    私、仕事中ですからとんでもないです!!

と断わろうとする私にセバスチャンはこんな事を言った。

「Kay。今はすることはないから、お茶でも飲んでソファーでゆっくりするといいよ。君がリラックスしないと、みんなもリラックスできないだろう? やってほしい事ができたら言うから。」と素敵な笑顔を見せた。

ちょっとほれそうになってしまった。
私がこれほどまでに働き者だとはこのときまで思わなかった。
きっとこんな事日本じゃ考えられないだろう。

行く場所によってカラーも様々で、いろんな所を見られる所が、エージェントに勤める長所の一つかもしれない。
だいたい、3ヶ月もすると「ぁ、前に行ったことがある」と言う所がまわってくるので気が楽になると思います。

その当時(6年前)は私の行く仕事場には日本人がいなかったので、(8ヶ月間働いてあったのはたったの一人、しかも永住者のおばちゃんだった。)みんな私が行くと必ず
「中国人?」と聞いた。
私が「日本人です」と言うと、
みんな「お~~~!!芸者はどうやってなるの?」と口をそろえて聞いてきて、返答に困った事を覚えている。
ちなみに今でもその質問はたまに聞かれることがある。
中には「日本人とはじめて話した」と言う人もいて、
1回仕事に行くと大概の人は覚えてくれていた。

友達などはできにくいと思うが、エージェントでいろんな所を見て気に入った所を見つけて直々に応募すると言う手もあるので、損はないかもしれませんね。

けい

けい

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2006年7月 1日 (土)

帰国しました!

ただいま~!!
無事にANNEちゃんと一緒に日本に今朝到着しました。

ANNEちゃんのパパとママが私の家まで迎えにきてくれANNEちゃんと一緒に空港まで送ってくれました。
どさくさに紛れわたしもANNEちゃんパパママとはぐをし、
涙ながらに手を振ってくれたANNEママ。
ちょっと私まで切なくなってしまいました。

10時間のフライトを終え、成田に今朝到着。

入国口が工事かなにかで閉鎖になっており、ちょっと回り道をしなくてはならず、私たち以外に誰もいない乗り換え口付近で危うく迷子になりそうになってしまいました。

カオリの旦那が成田まで迎えにきてくれ、午後には横浜へ到着!

今のところ、それ程大きなカルチャーショックを受けてはいないが
看板や広告、そしてテレビが日本語で努力して読む必要がないので感激している!!

今日は夜遅くまで、カオリ夫妻とANNEちゃんと私とでこれからの予定を立てる。
1週間の横浜東京観光。
行きたいところが多すぎて、困っちゃいますね。
すごくきつきつなスケジュールになりそうだけど、
 
   LIFE IS SHORT,PLAY HARD!

とナイキの宣伝でも言ってました!

全力を尽くします!
後ろで、カオリ旦那が
「このぐらい勉強も全力尽くせればね・・・」と・・・

聞こえない、聞こえない・・・。

けい

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