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2008年1月

2008年1月31日 (木)

かに玉丼!

<写真ついてます>

実は、かにが入っている「かに玉」って今まで作ったことはありませんでした。

じゃあ、今まで作っていた「かに玉」はなんだったのか??
なんて、突っ込まないでくださいね。

Kays_dinner2_001

←スーパーで売っているカニの身。

普通10~12ドルぐらいします。
でも、この間はセールだったのでちょっと安く購入できました。(ラッキー)
クラッカーに乗せて食べたあまりが冷蔵庫に眠っていたのをたたき起こし、かに玉を作ってみました。

Kays_dinner2_002 卵3個と塩、コショウと「中華味(調味料)」を入れて、混ぜ、そこにカニの身を入れるてフライパンで蓋をかぶせて蒸し焼きにする。

あんかけは、ピーマンや玉ねぎ、マッシュルームなどを刻んで、さっと炒め市販の「酢豚の素」(日本人の友人にもらった)を水で溶かして野菜と絡めます。

どんぶりにご飯をよそって、かに玉を乗せてあんかけをかけて出来上がり。

Kays_dinner2_006 昨日の食卓の風景はこんな感じ。

右下:かに玉丼

左上:昨日のナポリタンの残りを4等分した食パンとズッキーニのグリルではさんだもの。中央の黄色いのは薄焼き卵でナポリタンを包んだもの。

左下:絹さやえんどうのパン粉とレモンのさっぱり炒め。

以上3品。

考えてみると炭水化物多めですね・・・。

ドンマイ!

けい

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2008年1月30日 (水)

スペアリブの甘辛ソース

<写真ついてます>

私、豚肉大好きなんです!

ぇ?今、「共食い?」っていったやつ、前へ出ろ!!

  喝!!

もし自分の小料理屋を持つことが出来たら、名前は『ぶーぶーKay』(命名ByFちゃん)と決めているぐらい豚肉を使った料理が大好きなんです!

だから、食卓に上がる肉も牛肉よりかは豚肉が圧倒的に多い。

昨日の夕飯はスペアリブでした。

今日はその超簡単レシピをご紹介します!

マリネソースにスペアリブを漬け込んでグリルで焼くだけ!

Kays_dinner_037ビニール袋(2枚が望ましい、骨で破れてしまう可能性がある為)に材料を入れて密封するように口を縛って冷蔵庫で1時間以上寝かします。 Kays_dinner_039

リブ肉を取り出して、今回は切ったナスとズッキーニの上に乗せてオーブン230度で15分、ひっくり返して15分。
お肉に火が通れば出来上がり!

骨と骨の間を切って、漬けたタレを少し煮詰めたものに絡めて、盛り付けます。

ね?簡単でしょ?
でも、スペアリブだとぱっと見豪華に見えるので、今日は豪華にしたい!!ッて時にはもってこいです。
AUSでは持ちよりBBQパーティーなどの機会もあるので、
前の日からお肉を漬け込んでそのままBBQに持っていったりしてます。

Kays_dinner_067 今回はロケットの葉っぱを敷いてリブを盛り付け、同じくリブの下に敷いてグリルした、ズッキーニとなす、マッシュルームのチキンの肉詰めも一緒にグリルして見ました。

スパゲティーナポリタン(右)と一緒にいただきました!

リブソースが結構甘いので、後はお醤油やフィッシュソース、お酒などを加えて、調節してみてください。

<材料>

・スペアリブ 500g
・ナス 適量
・ズッキーニ 適量

(マリネソース)
・叉焼ソース(Char Siu Sauce) 大2
・海鮮ソース(Hoisin Sauce)   大2
どちらもアジアンショップで手に入ります。
・マーマレード      大2
・愛情           たっぷり!

さあ! 召し上がれ!!

  けい

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2008年1月29日 (火)

アルコール依存症

人はそう簡単には変わらない。

わかっているつもりだったが、忘れていた。

人は自分で変わろうとしない限り、変わらない。

私はどう頑張ってもその人を変えることは出来ない。

ちょっと、仕事で疲れています。

私の病棟にはIVDU(覚せい剤使用者)やアルコール中毒の患者さんが入院してくる事が多い。

この類の患者さん達は、繰り返し入院してくる事が多い。
酔っ払って道端にねっころがってたのか、なんだか知らないが、車に引かれたアルコール中毒の患者Jさん(男性)はうちの病院のED(救急病棟)に担ぎ込まれた。

私の病棟のベットが空き、JさんはEDから転棟してきた。
EDで切られた血まみれのTシャツ、同じく血まみれの短パン、ひん曲がったサングラス、タオルに包まれた6本の缶ビール、そして巻きタバコ、それらが入れられた患者用のプラスチックバックと一緒にJさんはやってきた。

事故によって取れそうになった左の耳は、綺麗に縫合され包帯がぐるぐる頭に巻かれていた。

アルコール離脱の治療目的のため、6本の缶ビールはナースステーションで没収する事になった。

アルコール離脱チャートに従って、バイタルサインを定期的にはかり、離脱症状、禁断症状をチェックする。
必要があれば、定期的にジアゼパムを与える。(禁断症状を軽くするため)

そうやって、Jさんもアルコール離脱が順調に進んだ。
左耳の外傷によりパンパンにはれていた顔のむくみも良くなり、クリームパンみたいだった耳も腫れが引いてきた。

だんだんと体調が良くなるに従い、Jさんは「家に帰る」と言い出した。

Drの退院の指示は週末明け、その週末はオーストラリアデイと重なり、土、日、月の3連休だった。
身寄りのないJさん。
家に帰っても誰もいない。
誰もいないから家が心配なのもわかる。
病院にいればクーラーもきいているし、3食昼寝付なのに。
でも、Jさんは帰ると言い張り、当直医の「AGAINST MEDICAL ADVICE」のフォームにサインをして帰って行った。

Jさんが帰ればお酒を飲むのは誰の目から見ても明らかだった。

なんだか悲しくなった。
すごく虚しくなった。

体調が悪い時は、「もう酒は止める。」と言っていたのに、良くなったとたん、飲まずにはいられなくなる。

これがアルコール依存症なのだからしょうがないのかもしれないが、なんか裏切られた気がした。

P助は「それが依存症なのだよ。たった2週間の入院で治る物ではない。」と言った。

そうだよね、それなら苦労はしないよね。

たった一人で、たった2週間でその人のアルコール依存症を治す事ができるとでも思っていたのだろうか?
バカだな、私。
自分は神様にでもなった気がしてたのだろう、そんな自分を恥ずかしく思った。

私は1人の看護師で、自分で出来る事はほんの少しだ。

でも、ただ、Jさんを信じたかったのかもしれない。
「お酒止めたい」と言っていた、Jさんを。

Jさんが自己退院して、お酒を飲んだかどうかなんて、誰も知らない。

人は変わらない。
自分で変わろうとしない限り、変わらない。

私はなんて無力なんだろうとまた凹む。
こうやって、人生を学んでいくものなのか。

けい

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2008年1月24日 (木)

婚約発表後、友達の反応あれこれ

婚約発表して早10日経ちました。

職場の同僚や他のスタッフには、会う人会う人に「婚約したんです~!」と胸ポケットにしまってある指輪を見せびらかしてはいたが、その他は父に電話し(父はこのブログのことを知らない、多分)、そしてこのブログ上で発表した以外は誰にも婚約の事は言ってなかった。

日本のカオリン夫妻から国際電話が入った。
「久々にKayのブログでもチェックするか~と思ってPC立ち上げて、ブログ読んでたら、ぇ?え?ぇえ~~~!!と驚いたよ!!」とツヨリン。
「おめでとう!そろそろかな~と思ってたけど、よかったね!」とカオリン。

日本からの高い国際電話なのに、延々と話をしてしまった私。

ありがとう。

Fちゃんからも「おめでとう」と電話が入った。
彼女はブログで私の記事を読んで、思わず涙が出てきてしまったと言っていた。

ありがとう。

その涙は『もう一緒にバカな事しに夜遊びにいけない寂しさ』から来るものなのか、それとも、ただ単に『嬉しさ』から出てきたものだったのかは彼女しか知らない。

Fちゃんから「Kayのブログ見て、大変な事になっているから!」と連絡を受けたNowちゃんは仕事帰りにわざわざプレゼントを抱えてうちまで駆けつけてくれた。

ありがとう。

昨日は休みだったので、ミッキーと久しぶりに一緒に買い物ついでにお茶する事になった。
アイスコーヒーを飲みながら、最近のお互いの事を報告しあう。
ミッキーはもちろんFちゃんから連絡を受けて知っていた。

アイスコーヒーを飲み終えるとミッキーはショッピングセンターの一角にあるニュースエージェンシー(新聞、雑誌、カード、文具類を扱っているお店)の中の雑誌コーナーまで私を連れて行った。

雑誌コーナーの一角には「JJ」や「CanCan」以上に分厚いウェディングを扱った雑誌が所狭しと並べられていた。

ミッキーは並べてある雑誌を手に取りひとつひとつめくっては、『どんなドレスがいい?』『ぁ、このケーキかわいい~!!』『ビーチの結婚式も素敵だね~!!』とまるで自分の事のようにはしゃいでいた。

隣でそんなミッキーを見て、嬉しかったし、自分の事のように喜んでくれる友達を持って私は幸せだと思った。

一通り見終わると、ミッキーは「で、どの本がいい?買ってあげるよ。」と言った。

式の日取りも式の場所や内容も決まってないし、どうやって式の準備を進めていくのかも、全く検討が付かない状態の私。
とうぜん、ウェディング雑誌さえもまだ持ってなかった。

億万長者なら、なんだって出来る。
豪華なドレスを着たり、お色直しをしたり、天まで届きそうなケーキに花束、日本からも沢山友達をよんで、バスのように長いリムジンで式場に行ったり、豪華なホテルで結婚披露宴をしたり・・・と数え上げればきりがない、上を見ればきりがない。

残念な事に私もP助も億万長者ではないので現実を見なければいけない。

結局、私が選んだ本は『2008年で一番ホットなウェディング特集』の載った雑誌や、『ウェディングドレス・デザイナーコレクション』でもなく、婚約から結婚式までの段取りの中でいかに浪費を抑え、且つ自分たちらしい結婚式ができるかを書いた「Weddings on a budget」という本を選んだ。

ミッキーは私の選んだ本を見て「Kayらしいね」とニッコリ笑ってレジまで持っていった。

ありがとう。

こんなに素晴らしい友達に恵まれて、すごく幸せです。
ありがとう。

ちょっとこの本で勉強して、私達らしい形でその日が迎えられたらと思う。
ありがとう。

けい

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2008年1月22日 (火)

ブッチャー教育?

日本ならどこのスーパーでも売っているのに、ここ、パースのスーパーでは手に入りにくいものの一つに『薄切り肉』がある。

ノースブリッジにある中華系のお肉屋さん、もしくは一部の日本食品店に行けば買えるらしいが、いちいちそこまで買いに行っていられないのが現状である。

パースのスーパーにも『薄切り肉』らしき物はあるが、日本のそれと比べるとわらじの様に分厚く感じる。

いや、実際、分厚い・・・。

友達に『どこで、薄切り肉を手に入れているか?』と聞くと、ブロック肉を買ってきて、自分で薄切りに切ると言う人が多かった。

私も同じようにブロック肉を買ってきて、薄切りに挑戦したが、自分で切る薄さにも限界がある。

それに、骨付きのブロック肉だと、難易度がUPする。

P助の1番上の兄(P兄1)の彼女(日本人)ケリー(もちろん仮名)と『薄切り肉の調達法』の話題になったときに彼女は「引っ越す前は、近所のお肉屋さんと仲良くなって、そこで特別注文してた。」と話してくれた。

    そう!彼女が伝授してくれたのは
    まさしく、ブッチャー教育法!であった。

そっか、手に入らないものは、自分で作るか、その道のプロにお願いするのが懸命だ。

こんな時、自分が『ブッチャー』ならよかったのに・・・と思う。
お肉も扱える看護師なら食いっぱぐれることもまずないのに。

余談だが、
前にP助に「どうやれば、ブッチャーになれるか?」聞いたら、下積みから4~5年の経験が必要と言われ、ブッチャーになるのを諦めた。

早速、近所のスーパー『イガ』で働いているブッチャー、ポールに話を持ちかけてみた。

このスーパー『イガ』はチェーンでありながら、その地元の特性を見事に反映させている。
アジア人が多く住む地域は『アジア系』の食品が多く置いてあったり、イタリア系の多い地域ではイタリア系の食品がメインだったりと、同じ『イガ』でもその店によって置いてある品物がガラリと違うのだ。
うちの近所の『イガ』はお肉コーナーにオージーから見るとゲテモノ意外には思えない『牛タン(しかも、もろその原形をとどめている)』や『砂肝』『ハツ』、運が良いと『牛の胃袋』まで揃えている。

レジを通す時はレジのお姉ちゃんに『こんな物どうやって食べるの?って、言うか、これ食べ物??』と言わんばかりに眉間にしわを寄せて、親指と人差し指でつまむようにパックを持ち、スキャンさせる。

Fちゃんはレジのお姉ちゃんに『これ食べるの?』と聞かれ、いたたまれなくなり、犬も飼っていないのに、「犬のえさです。」と答えたらしい。

話がだいぶそれたが、ブッチャー・ポールは私の要望を快く引き受けてくれた。

翌日には、注文どおりスライス肉パックが出来ていた。
『どんな肉がいい?』と聞かれ、「スライスであればどんな肉でもかまわない」と答えると、キロ29ドルもする、スコッチフィレ(ビーフ)をスライスしてくれた。
日本のしゃぶしゃぶ肉には程遠い厚さだけど、焼肉や野菜の肉巻きにはちょうど良かった。
ちょっと豪華な肉巻きになって我が家の食卓を賑わしてくれた。

ま、初めはこんな物でしょう。
そのうちに、いろいろわがまま言ってみようと企んでいる。

7年前、パースでは『鳥ひき肉』は冷凍物で『ペットのえさコーナー』に陳列されていた。
今はコールスでもウーリーでもお肉コーナーに陳列されているのを普通に見かけるようになった。

スライス肉が普通のスーパーで陳列される事も時間の問題だと密かに期待している。
それまで、私のブッチャー教育は続くだろう。

  けい

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2008年1月20日 (日)

仏教、時々クリスチャン?

私の母はクリスチャンだった。

詳しく言うと母はまだ若い時、彼女がまだ結婚する前にクリスチャンの洗礼を受けたそうだ。

母の一番下の弟は18歳で肺がんを患い、当時母が看護婦として勤めていた病院に入院したそうだ。
仕事をしながら弟の看病もしていた母、若くして当時の不治の病「肺がん」を患った弟を不憫に思っていた。

ある時、母は「弟の体は救ってあげられないが魂は救えるかもしれない」と思いクリスチャンに回心し、神父さんを弟の病室まで呼び弟も洗礼を受けたらしい。

クリスチャンの効力かわからないが、弟が死ぬ前に最後に言った言葉が「姉ちゃん、白いベールをかぶった女性が沢山入ってきたよ。」だったそうだ。

母は『ぁ~、天使様が入ってきたんだ。』と思ったらしい。

今もお婆ちゃん(母の母親)の持っているお仏壇にはご先祖様の位牌と阿弥陀如来像の横にイエス・キリストの絵が飾られている。

こんな話を母はよくしてくれた。

ちなみに母のクリスチャンネームは「マーガレット」だそうだ。

クリスチャンネームがあると自慢したわりには、母は教会に行く事もなかった。
結婚式も教会ではなく人前式だったらしい。
聖書もロザリオもキリスト像もマリア像も私の育った家にはなかった。

母は亡くなったが、彼女の希望通りに火葬され、お寺の横に小さなお墓を建ててそこに埋葬された。

結婚式の話をP助としながらふと考えた。

私は死んだらどこに行くんだろう?

魂の話ではない。

肉体の話だ。

もし、日本で生活していたら、迷わず私の実家の墓行きだと思うが・・・

私はオーストラリアにお嫁に行く。

私がもしP助よりも先に死んだら、仏教徒の私の体はどこに埋葬されるのだろうか?

全くオーストラリアの葬儀や、埋葬に知識がないので全く見当もつかない。

お墓のイメージも日本だったらお盆やお彼岸があるから、墓参りの機会もあるし、大切に思ってもらえそう。

オーストラリアだったら、どうだろう?
埋められる時以外は若気の至りで肝試しに来る若者以外は忘れ去られそう。

もちろん、これは私の独断と偏見に基づいたもので何の根拠もないものだ。

結婚式の心配より前にお墓の心配をするなんて、自分でも驚いている。

でも、文化も宗教も儀式もすごく密着した物だと言う事がはっきり自覚する事が出来た。

多分私はカトリックにはならないだろう。

日本でもなんとなく仏教徒で通ってきたので、これからもなんとなく仏教徒で過ごしていくのだと思う。

自分自身とP助を信じて、生きていくんだと思う。

  けい

 けい

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2008年1月19日 (土)

?花嫁教室?

前回ちょこっと触れたけど、P助のママ(Pママ)はカトリック教徒でもちろんP助も小さい時にカトリック教徒の洗礼を受けているがP助はそんなに熱心ではない。

Pママは毎週教会に行くらしいが、P助は行かない。

P助がPママに私達の婚約の話をしたところ、Pママは結婚式を『カトリック教会』で挙げて欲しいとの希望だった。
希望というより、「もちろん、式はカトリック教会で挙げるでしょうね?」という付加疑問文系の言葉の圧力だったらしい。

P助が「もし、いやだと言ったらどうする?」とPママに聞いたところ「もう、口きかない!」とお茶目な回答が返ってきたらしい。

もちろん、口きかないわけないんだけどね。

     『カトリック教会で挙式!』

なんか、ブライダル雑誌の見出しに出てきそうな、女の子なら誰もが憧れる、ちょっと鮮麗された響きだ。

しかし、事実オーストラリアの「カトリック教会での挙式」は長い道のりだ。
挙式の前に数々の突破しなければならない項目が立ちはだかっている。

私は基本的に仏教徒?なので、カトリック教徒に改宗しなければならない。
改宗するのも、詳しい事はわからないが、どうやら「クリック!再インストール終了!」と言うわけには行かない事ぐらいは想像がつく。

そして、『花嫁教室』6週間。

日本にも一昔前に『花嫁修業』と言う言葉が使われていたが、いったい何をやるのかも、何を習うのかも、見当がつかない。

見当もつかないから、ちょっと興味もある。

「正しい夫の立て方」なるものを仕込まれるのだろうか?

Pちゃんの話によれば、もっとも宗教的な勉強が中心らしい。

でも、花嫁教室は女性だけなので、(花婿は行かなくても良いらしい)小学生の時に保健体育で男女別で教育されたように、女性限定の特別授業かもしれない。。。

病棟の同僚にもカトリックの人がいて、『私の娘も行ったわよ』と言ってたが、何を習うかまでは詳しく教えてくれなかった。

『花嫁教室』のなぞは深まるばかりだ。

  けい

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2008年1月16日 (水)

婚約会見?

みなさんこんにちわ。

本日Kayさん婚約会見のインタビューアーを勤めさせていただきます、Fちゃんです
よろしくお願いします。

Fちゃん(以下F):婚約おめでとうございます!早速ですが、質問にうつらせていただきます。
F:二人の出会いのきっかけは?
Kay(以下K):私が大学留学中にアルバイトしていたナーシングホームに彼(P助)が派遣で働きに来たことがきっかけです。

その当時の詳細はこちらです!(クリック)

F:彼の第一印象は?

K:とても人なつこい人だという印象を受けました。悪く言うと女ッたらしだと思ってました(笑)。
P助は私の事を「もっとおとなしくて物静かな女性」だと思っていたらしい。
お互い誤解だらけでしたね!!

F:誘いはどちらから?

K:P助から「今度の週末は何してるの?映画でも行かない?」と誘われました。

F:初デートはどこでしたか?初デートの感想は?

K:映画でも行かない?と誘われたのに、なぜか初デートはフリーマントルにお食事に行きました。食事の後は「リトルクリチャー」と言うパブで飲みました(私だけ。彼は運転するのでソフトドリンクでした。)私があまりにもガブガブとお酒を飲むのを見てびっくりしたらしい。

F:初デートでもう一度会いたいor会ってもいいなーと思った一番の理由は?

K:話していて、とても楽しかったし、楽だったからかな?
私の変な英語も真剣に聞いてくれたから。

F:今迄で一番思い出に残っている二人の事は?

K:ファーストデートで彼に「キスしてもいいか?」と聞かれた。『普通聞くか??』と心の中で突っ込みを入れると同時にかわいいなと思いました。
もちろん答えは「OK」と答えました。

F:彼のどんな所にセクシーさを感じるか?

K:目と腕に浮き出る血管。

F:プロポーズの言葉は?そしてなんと返事しましたか?

K:普通に「俺と結婚してくれる?」と言われたので「Yes」と答えました。

F:どこでプロポーズされましたか? 

K:一周年記念でヘリコプターに乗りに行った時にヘリコプターの中でいわれました。
ヘリコプターは操縦士を含め4人乗りで私達の他にもう一人観光客が乗っていました。
ヘリコプター内ではヘッドホンにマイクロフォンがついていて、自由に話が出来ます。
もちろん、他の二人にもプロポーズは聞こえてしまったわけです!!
プロポーズの事に関しては他の二人は得に突っ込んで来るわけでもなく、スルーされました(笑)

F:結婚を決めた一番の理由は?

K:この人の前ではどんなバカな事でもできると思ったから。

F:結婚式はどちらで、いつぐらいですか?

K:式の日取りはまだ決まってません。お金がないので多分来年の1、2月ごろ、パースで予定してます。

F:結婚式は和式?洋式?

K:たぶん洋式。
和式では写真を撮りたいな~と思ってます。

F:両方の親の二人の結婚に対する反応は?

K:私の父には「あ、そう!!良かったじゃん!(もらってもらえて!と続きそうな勢いだった)」
P助が言うにはPママは「もちろん式は教会でやるんでしょうね?」(Pママは熱心なカトリック教徒です。)と答えたとの事。

F:カトリック教会の花嫁教室に通うとの噂が流れてますけど、本当ですか?

K:Pママが言うには教会で結婚するには「カトリック教徒」に回心すること、更に「花嫁教室」に6ヶ月間通わなければならないらしい。
私はウェディングドレスが着られればどこでもかまわないんですけど・・・。
一瞬「花嫁教室」って、なに習うんだろう?と興味をそそられましたが、6ヶ月と長いのでちょっと、断ろうかなと思ってます。

F:結婚したら子供は欲しいですか?何人?性別は?

K:少なくても2人は欲しいです。
男の子と女の子1人ずつ。それか手間を省いて双子でもいいかな。

F:結婚してからも『これだけは!』と心に誓っている相手への配慮は?

K:『礼儀を忘れない』
『ガミガミ・グチグチ言わない』
『美味しい料理を(時々)作ってあげる』

F:Relationsipで一番大切だと思う事は?

K:ズバリ!信頼関係だと思います!
相手を信頼できなければ尊敬も出来ないし、その上に友情も愛情もきずけないと言う事を身をもって学びました! そんなエピソードはこちら!!(クリック!)

F:最後に理想の男性を見つけるための恋愛のアドバイスをお願いします。

K:自分の理想を紙に書き出し、常にアンテナを張る!
振られてもめげない! 
自分に自信を持つ!
後はメールください、相談乗りますから。

他に質問などありましたら、コメントまでどんどん投稿してくださいね!

最後まで読んでくれてありがとうございました!

けい&Fちゃんでお送りしました!

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2008年1月14日 (月)

婚約しました!

この日が近いうちにやってくる事はわかっていた。

去年末あたりから、何かと、『打診』ぽい発言は耳にしてたし、
クリスマス前にショッピングに行った時にいっしょに指輪を見たりしてたから。

昨日の朝、出かける時に私のバックにゴソゴソ何か隠してた事もお見通しだった。

その瞬間が来る準備は出来ていた。

今がその時か?とタイミングを見る二人。

そして、とうとうその時がやってきた!

二人の心臓はドキドキしていた。

P助からのプロポーズに「イエス」と答えた。

次の瞬間、私の左の薬指には婚約指輪がはめられていた。

出会ったのは一昨年のクリスマス前だったね。

あなたが私に気を寄せているなんて夢にも思っていなかったので、デートに誘われたときにはすごくびっくりしたのを覚えてます。

デートを繰り返し、いろいろな話をしてお互いの距離も一気にちぢまったね。

付き合うようになってから、次の月には私の親とも対面してたし、
私が就職してから一緒に住むようになった。
一緒に日本へも行ったね。

P助と出会えて本当に良かった。

すごく私の事を大切に思ってくれていること、愛してくれているんだな~と常に感じさせてくれるP助。

私の人生に入ってきてくれてありがとう。

あなたは私の人生の中ですごく大事な人。

そして、ずっとずっと一緒にいたい人です。

あなたと一緒だったら、どんな辛い事も一緒に乗り越えていけそうな気がする。
あなたと一緒だったら、どんな悲しい事も一緒に笑い飛ばせるような気がする。

だから、私、P助と結婚します!

けい

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2008年1月13日 (日)

一周年でヘリコプター?

<写真沢山ついてます!>
今日は彼氏P助と付き合うようになって1周年という記念日です!

彼にはこの1年間、私のわがままに付き合ってくれて、本当にありがとうと感謝したい。

この1周年と言う記念日をどう過ごすかが最近の私達の話題の一つになっていた。

去年のうちから、「1周年記念日は美味しいレストランに食事に行こう。」と言ってたので、一昨日の夜に私が仕事から帰ってきて、P助に「食事はキャンセルして、もっといい所に連れて行ってあげる。」と言われた時には、正直、ちょっと残念だった。

Kay「もっといい所?」
P助「うん。きっと気に入ると思うよ。」
Kay「・・・あなたのママの家なんて言わないでね。」
P助「ママの家じゃないよ!ヘリコプターに乗るんだよ!」

 と、言うわけで私達、ヘリコプターに乗りに行ってきました!

私達のフライトは10:30、パース⇔フリーマントル往復15分の旅!

Kays_flight_008

イーストパースの外れの川沿いにあるヘリコプター乗り場で待っていると・・・

Kays_flight_007_3

←ヘリコプターが降りる場所。

やってきました!
4人乗りのヘリコプター!
ヘリコプターは私が想像していたものよりかなり小さかった。Kays_flight_012 Kays_flight_013       
Kays_flight_014 Kays_flight_017

早速乗り込んで、シートベルトとヘッドホンを着ける!

Kays_flight_020 準備OK!
Kays_flight_027

Kays_flight_028 Kays_flight_029
おっ!飛んだ!!

と、思ったら、あっという間にパースシティーが見えてきた!
ヘリコプターは時折風にあおられ、あの胃が宙に浮くような『ふぅっわ!』と言う瞬間を何度も味わった。

Kays_flight_033 Kays_flight_041

パースの町を飛んだら

Kays_flight_045 私の働く病院が見えてきました!

Kays_flight_057 Kays_flight_064コテスロービーチを超えて!

Kays_flight_067 右手にはロットネスアイランドが見えました!

Kays_flight_070 そして、フリーマントルの上空へ、
これよりパースに帰ります!!

Kays_flight_085 Kays_flight_088 Fちゃんの住んでいる、キャニングブリッジ付近を通って、パースへ!

Kays_flight_099 無事到着しました!
たった15分だったけど、すごく楽しかった!
少し違ったパースの風景が見られました。

ヘリコプターに乗るのも初めての体験だったし、海も綺麗だったし、天気も良かったし!
すごく面白かった!

パースにおこしの際はヘリコプターに乗って、ちょっとスリリングな観光はいかがですか?

お勧めですよ!

まあ、ヘリコプター飛行中にすごいハプニングがあったのですが、それはまた別の話。

とにかく1周年記念日、ただ今開催中です!

けい

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2008年1月10日 (木)

新年早々?

実は言うと、新年早々凹んでいた。

原因は『疲れ』と『自己嫌悪』。

クリスマスから5日間連続勤務を終え、1日休んで31日からまた年越しで5日連続勤務だった。

いくら年末とはいえ、クリスマスの連休後はAUSは1月1日以外は普通の日である、当然医者もいるし、検査も入退院もある。

忙しい。。。

そんな忙しい中でも1月1日は祝日でシフトコーディネーターだったクリニカルナースのリサが『みんなの頑張りによっては1時間早く上がれるように計らっても良い(給料はそのまま支払われる)』といったのでみんな頑張った。

私は結構重めの大部屋を受け持っていた。

でも、頑張ったよ。
だって、1時間早く上がれるんだもん!
早く帰って、休みたい!
ただそれだけ。

清潔ケアも終わり、昼食を終えた患者さんたちをベットに戻す。

ちょっと調子悪そうだったMさんからベットに戻し、次に脳梗塞で左半身麻痺のRさんをベットに戻した。

Rさんは尿カテーテル(IDC)を抜いて日も浅く、排尿が自分でできずに導尿の処置が取られていた。
朝から排尿がなく気になっていた。

その日は2時から午後勤務のナースが来て引継ぎをするのに、私の部屋の受け持ちナースは3時からの出勤だった。

私は2時30分で終わる。

他のスタッフは引継ぎのナースに申し送りを済ませて変える準備万端なのに、私は数人の記録も書いていなかった。

とりあえず、その日の準夜勤務でS/CだったSさんに申し送る。
ついでに『膀胱スキャンして、おしっこが溜まっている様なら導尿してください』と頼んだ。

膀胱スキャンをするSさんの横でCNのエイド(仮名)がぽそっとつぶやいた。

「もっと早くに患者をベットに戻して膀胱スキャンをやるべきだった。(こんなになるまで放ってって置いて!ぐらいの勢い)」

その言葉にカチンときてしまった。

    出来るならとっくにやってますよ!

どうしてここまでできなかった理由を説明するが、もう後の祭りだし、そんなこといわれても・・・。

悔しかった。

1月2日はビジネスはもう普通どおりの業務に戻る、それがオーストラリア。

当然、病棟も普段の業務、しかも休み明けとあって、指示も出る出る!

朝から1人の看護師不足、+PCAが普通は2人いるところが1人しかいなかった。

病棟は大混乱で大忙しだった。

前の日と受け持ちが一緒の部屋(4人)で、全員シャワーしてあげたかったけど、出来なかった。

とにかく手がかかる患者が集まっている私の受け持ち部屋。

他のナースの力も借りて、清潔介助を終えることが出来、仕事も順調に進んでいた!

前の日のこともあり、Rさんもシャワー前に膀胱スキャンをして尿量をチェックしてからシャワー浴介助をして車椅子に乗せる。
そして、昨日よりも早めに昼食後ベットに戻すようにした。

その間にも調子の良くないMさんは朝から落着きがなく、酸素カニューレを自分ではずし、低酸素血しょうになり、もっと息苦しくなる、→落ちつきない、私が酸素を戻す・・・と言った事を繰り返していた。
血中酸素飽和度も酸素なしでは84%まで落ちた。
経鼻カニューレからマスクに換えたり、経鼻に戻したり、その都度SaO2を測ってましたとも!

そんなMさんの横で80歳代認知症のHさんは不穏になりスタッフを叩こうとしたり、歩けないのに「OOに行かなくては~~~!!放してくれ!!行かなきゃならないんだ!!」と立ち上がり転倒する可能性大有り!!しかも、とても暴力的だ!!
小柄なくせにどこからそんな力が出てくるのか?不思議なぐらい。

Hさんへの不穏時の注射の指示は薬の副作用が強いため飲み薬に換えられていた。

こんな興奮状態のHさんに「この薬飲んでください」と言っても、
「はい、そうですか。」と飲んでくれるはずが・・・・

  あるわけないだろ!!

急遽、Drを捕まえて、不穏時の指示を出してもらった。

2人がかりで押さえつけられ、注射されたHさんは猫のようにおとなしくなり眠りについた。

そんな時に助けに来てくれたCNのエイドが一言。
「この人ちゃんとお水飲んでる?もしかしたら、尿路感染かも?水分補給は大事だからね。」

  スイマセン。

Hさんとの戦いの前にも、部屋に入ってきたエイドが落ちつきないMさんをみて

「酸素飽和度測ってみた?昨日は酸素なしでも問題なかったわよ。」

と、言った。

酸素なし?冗談でしょ?朝からずっとかかりっきりで測ってましたけど・・・

こんな小さなことなんだけど、降り積もると、かなり来るものがあるんですよ。

しかも、エイドはスタッフコーチングだかなんだかで、スタッフがわからないことを聞くための役目であって、このくそ忙しい朝勤務の私にいちいち駄目出しをするためにいるわけではない!

ぱっと目に付いた事だけで判断して、いろいろちょっかい出すのはやめて欲しい。

本気で思った。

私褒められると伸びるタイプなんです!!

この二日間のほんの些細な事が積み重なり、涙が出てきた。

私がすごく無能な人間に思えてきたのだ。

仕事から解放され、家に帰ってシャワーを浴びてベットにねっころがると今日の事が思い出され涙が後から後から出てきた。

それを見たP助は訳のわからないまま、ただアワアワしながら私の肩を抱いてくれた。

そんな日もあるよ。と思うまでにすごく時間がかかった。

だって、一生懸命仕事しているのに!
サボってたわけでも、
手抜きをしていたわけでもないのに!!
他のみんなはもっと出来るのか?
私が無能なのか?

悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。

そして、年明け初めてのブログの記事を書いた。

書いている途中で、そっか、自分次第なのだと改めて思えた。

私の仕事の駄目出し、アドバイスをしてくれる事には感謝をしている。

でも、決して私は駄目なわけでも無能なわけでもないのだ。
現にエイドは「あんた何やってんの?」とか「あんた使えね~」とは言ってない。
無能だと思い込んでいたのは、この私自身だった。
私は私にできる精一杯のことをやればいいのだ。
私以上のことは出来ないから。

年明け早々、へこたれているわけには行きません!

今年も前向きにいきましょうね。

  けい

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2008年1月 8日 (火)

2008年の目標

今年始まって初めてのお休み(しかも3連休!)でゆっくり、まったり、ぐだぐだ過ごしていたけいです。

ちょっと遅くなりましたが今年も張り切って目標など掲げてみたいと思います!

   2008年の目標(順不同)

1.お金を貯める。
目標:10,000ドル/年

2.英語・看護の勉強をする。
今年こそはメディカルターミノロジーをマスターしたい!
病棟の勉強会、研修、セミナーに積極的に参加する。

3.IV(Picc)ナースになる。
IVNSのポジションを待つ間に、体験学習として1~2日IVセラピーの部署で働く。

4.新しい趣味にチャレンジする。
陶芸を習いたい!

5.彼氏P助と仲良く、お互いを尊重しつつ、助け合っていく。

6.健康管理
ストレスをためない、風邪を引かないように気をつける。

7.痩せる
今年もやっぱり出ちゃいました、この目標。。。
無理せず、これ以上増やさないよう、それでいて少しでも負担が軽くなるように努力する。

8.永住権の申請をする+永住権Get!

今の所このぐらい。

あせらず、前向きに、ガンバリマス!

 けい

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2008年1月 7日 (月)

悲しきIVDU

去年末の話。

覚せい剤使用者(IVDU)で心内膜症で入院してきた40代女性Dさん。

Dさんはこの前も心内膜症で入院してきており、しかも私の病棟。
私が受け持った次の朝、彼女はAgainst Medical Adviceのフォームにサインをして自己退院しました。

その後しばらくしてまたEDに転げ込み?入院となった。

IVDUの為、彼女の血管は40代にもかかわらずボロボロ。
CVC(中心静脈ライン)が挿入され、そこから4時間おきの抗生剤の投与。

Dさんの状態も落ち着き、彼女は時期を待って手術を受ける事となった。

が、手術当日になり手術拒否。

クリスマス休暇とも重なるので、手術は年明けに伸ばされた。

その間も彼女は私の病棟に入院、4時間おきの抗生剤の投与を受け続ければならなかった。

Dさんは喫煙者。

病院内での喫煙は、正確に言えば病院敷地内での喫煙も禁止されており、入院患者はニコチンパッチを代用するなどの処置は取られるが、実質的には喫煙者は病院の外のバス停の前などで喫煙している。

Dさんは体調も良くなると自分で歩いてタバコを吸いに行くようになった。

私達ナースは患者さんをタバコを吸いに付き添っていく事はできない、しかし、自分の意思で歩いてタバコを吸いに行く患者さんを止める権利もない。

例え、タバコを吸いに行くと言って、外で覚せい剤を使用するかもしれないとわかっていても・・・。

実際、彼女は病室内で覚せい剤を使用しているところを見つかり、セキュリティー、警察、Drチーム、コンサルタント、クリニカルナース、ナースマネージャー、ドラック&アルコールクリニカルナーススペシャリストなどなどを巻き込み病棟はてんわわんやの大騒ぎ!!!

の末、彼女は退院させられた。

彼女の部屋から押収された注射器(インシュリン投与用)、スプーンの数々・・・。

それを写真に取る警察とセキュリティー。

ちょっとドラマみたいで鳥肌が立った。

12月31日のことだった。

あれから、彼女はどこに行ったのだろう?

誰も知らない。

「またEDに戻ってきたらどうするの?」

とクリニカルナースに聞くと、今度は今回のことのようなことが起きないように承諾症を書かせると言っていた。

悲しきドラッグユーザー。
こうやって、病院を追われ、行き場をなくし路上で息絶える人も少なくはない。

Dさんにしたって、自分の人生がこんな事になるなんて、覚せい剤を興味本位で始めた(かどうかはわからないけど)頃は夢にも思ってなかっただろう。

こんな悲しい覚せい剤が早くこの世からなくなる事を願ってはやまない。

けい

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2008年1月 6日 (日)

All Year?

最近、彼氏P助との会話の中での流行りは・・・

『今年に入って・・・してない。』

です。

例えば、料理、
P助「そういえば、今年に入ってKayの料理を1回しか食べてないな~。」

解説)これを彼が言った日は1月3日で、私は5日連続勤務の真最中だった。
+私は準夜勤務の時は料理をしない。よって、1回でも十分なのだが、これをあたかもず~~~~っと食べてなかったの様に言う所が生意気で笑える。

例2、
Kay「私、今年ずーっと働いてる。」または「今年に入って休んでない」
(I've been working all year!)(I have not taken a day off all year!)

英語ではall yearを使うので、たとえまだ年があけて3日しかたってなくても、本当に年がら年中って感じがする。

会話の所々にこのAll Yearをくっつけて、遠まわしに催促したり、希望を言ったり、文句を言ったり。。。

  そんな、大げさな~!!

と、突っ込みたくなる事も言われるけど、これがまだ2008年が始まったから笑えるのだ。

これと同じ事を今年の11月あたりに言われたら・・・と考えると、

 っさ!! いっちょやるか!!

と、いう気になる。

でも、早くこの流行が過ぎてくれないかなとも思っている。
って、けい&P助以外流行ってませんけど・・・。

使いすぎはほどほどに!

  けい

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2008年1月 3日 (木)

新年のご挨拶

  新年明けまして、おめでとうございます!

皆様には、健やかに新春をお迎えの事とお喜び申し上げます。

さて、お正月らしさのかけらもなく、蒸し暑いパースです。

大晦日の準夜勤を終え、自宅のベランダからP助(彼氏)と一緒に花火を見ながら年越しをしました。

TVではシドニーの年越し花火が放映されてました。

ここで気がついたこと。
パースでも花火が打ち上げられましたが、パースでは年明け15分前からバンバンと打ち上げられ、年明けして3分ぐらいで終わってしまい、いまいち盛り上がりに欠けた。
一方シドニーの花火は年明け10分前くらいから花火が上がり、年が明けても『まだまだこれからよ!』と言わんばかりにがんがん打ち上げられていた。

規模のでかさが違うんですね・・・。

でも、そんな田舎臭いパースが大好きです。

今年はどんな事が私達を待っているのでしょうか?
ドキドキしますね。

この間読んだ本に書いてあった小話を一つご紹介します。

『ある男が次に住む予定の村に向かって荷物を引いて歩いていた。
峠道を超えると遠めに村が見える。そこに座っていた賢者に男は聞いた。

男「今度あの村に住む者ですが、あの村の人はどんな人たちですか?」
賢者「あなたが来た村の人たちはどんな人たちでしたか?」
男「それはそれは、ひどく不親切な、嫌な人ばかりでした。だからこうしてここまでやってきたのです。」
賢者「そうですか。お気の毒ですが、あの村の人たちもその人たちと同じでしょう。」
男はがっくりと肩を落として峠を降りていった。

しばらくして、同じようにもう一人の男が通りかかった。
峠に座っていた賢者に話しかけた。

もう一人の男「ここから見えるあの村の人はどんな人たちですか?」
賢者「あなたが来た村の人はどんな人たちでしたか?」
もう一人の男「それはそれは、良い人ばかりでした。すごく親切でやさしい人ばかりでした。離れる時はすごく辛かったです。」
賢者「そうですか。あの村の人たちもその人たちと同じでしょう。」
もう一人の男はそれを聞いて胸をなでおろし、峠を降りていった。』

『心のチキンスープ』より

今年一年をどんな年にするかは、自分次第なのです。

自分次第なら、最高に幸せな一年にしましょう!

  今年もよろしくお願いします!

  けい

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