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2008年7月

2008年7月27日 (日)

手帳

それは、偶然見つけた。

母が亡くなって、私がオーストラリアに留学し始めたときから、父はずっとこの秋田の家で一人暮らし。

最近では自分で料理もあまりしないらしい。

タッパー容器も戸棚にごろごろあったが、結局使わないので、叔母に役立ててもらうことにした。

小さなタッパー容器には母の筆跡で『桜デンブ』『ねぎ』などとかかれたシールがそのまま張ってあった。

冷蔵庫や冷凍庫で『物が探しやすいように』と工夫したのだろう。

母はもうこの世にいないので、母の手でかかれたものは年々失われていく。

母の匂いも母との思いでも、少しずつ少しずつ薄らいでいく。

人間とはこうやって忘れていく生き物なのかと、この家に帰るたびに少し悲しくなったりする。

だから、この『桜デンブ』とかかれたシールもどこかに残しておきたかった。

どこかに母が使っていたノートがあるはず、そこにこのシールを貼ろう。

リビングの戸棚の引き出しを開け、何かないかと探した時、それは出てきた。

母の手帳だ。

母はダイエットと健康管理のためにと万歩計を毎日腰に付けていた。

その日が終わると、その手帳にその日歩いた「歩数」、万歩計が歩数から導き出した「消費カロリー」、カロリー計算で出した「摂取カロリー」をその手帳に書き込むのが母の日課だった。

体重測定は決まって毎週日曜日の朝、それもきちんと記入してあった。

その手帳は見開き月ごとのカレンダーとなっており、一目で毎日の「歩数」「消費カロリー」「摂取カロリー」がわかるようになっていた。

そして、1番下の余白欄にはコメントやその月の出来事が記されていた。

手帳は1990年から始まり、母が亡くなった年の2003年まで書かれていた。

はじめはほんの好奇心のつもりで、その手帳を読み出した。

私が高校を卒業したこと、看護学校入学、戴帽式、卒業式・・・と事あるごとに彼女の手帳に記されている。

「J(私の兄の名)下血で入院」
「Kay、OOさんを連れてくる」
「Jから誕生日おめでとうTEL」
「KayからTEL、失恋したらしい。泣いていた。」

など・・・、ァ~~~あったね。。そんなこと!!

とうなずきながら、ページをめくる。

所々にある摂取カロリー欄にある「ムチャグイ」と言う記入。

食べ過ぎて、途中でカロリーカウントを諦めたのであろう・・・。

そんな記入が週1回は有るからちょっと笑えた。

ちなみに「ムチャノミ」と言う記入もあった。。。

さすが・・血は争えないね!

ある年には「Kay今週は帰らないとTEL。寿司ムチャグイ」と書いてあった。

年号から推測すると、看護学校で寮生活をしていた頃だ。

あの頃は週末は寮に「実家に帰る」と申請し、コンパに明け暮れていたっけ・・。(申請すると門限が関係なくなるから)

私のオーストラリア、ワーホリでの渡豪、帰国、父の胃がん手術、私のヨーロッパ旅行、兄の帰省、私の再就職、電話があった日、父のヘルニア手術、母の肺がん発症、母の肺がんの手術、退院、そして再発、抗がん剤開始、髪の毛が抜け始めた日、母が退院した日、私が退職した日、秋田へ戻ってきた日。。。。。全てのことが、その手帳には書かれていた。

2002年5月母の右肺に初めて癌が見つかった月。
「Tさん、友人と病室に来てくれる。なにがなんでもS子さんの言うこと、S藤さんの言うことを実行して生き抜いてみせる。生き抜く勇気がわく、Sちゃんありがとう。」

2002年12月4日
「KayとTEL。結婚もしたい。友人が次々とウェディング、刺激されている面もある。だが4年後にはオーストラリアに行きたいと、自分の目標をはっきり決めてから行動すべきだと話す。何考えてんだか?」

2003年2月
左肺に癌が見つかる。
3月入院
4月14日「去年の今頃はOP室に入っていた。夢も希望もあった。ことしは・・・。Kayがそばにいる。」
4月15日母退院

5月22日「Kay畑デビュー」
  24日「Kyaババヘラ帽子を買い、畑の石ひろい。娘を見直す。」
  29日「最近は頭がボー日々のかんかくがない きのうも今日もみな一緒。アカシヤの花の香りが窓辺に運ばれて来る。これは幸せ。」

6月8日「不用有用ほとんど区別分別終了。これでいいのだ。」
(母はもう着ないからと冬服を全部ダンボールに詰めてしまった。)
6月23日「栗の花のにおいがする。さて庭に何の花を植えよう。気ばかりあせるが何を植えてよいやらわからない。」
6月30日「Kayの作ったグラタンとてもおいしかった。手つきが良い。かまえも良い。」

7月1日「ムーンフェ-スで何キロも増えたように見えたのに1.5キロ体重が減っている。体がだるい。ヤバイ」

これが最後のコメントだった。

7月20日母永眠。

いろいろなことを思い出し、途中から涙が止まらなくなって、声を出してオイオイと泣いてしまった。

こんなに泣いたのは母が亡くなった時以来だ。

こんなことを母が感じていたなんて知らなかった。

こんなにも私は愛されていたんだ。

こんなにも母はみんなの事をいつも気にかけ、愛していたんだ。

そんなこと今まで知らなかった。

ますます母のことが好きになった。

そして、ますます母のことが恋しくなった。

お母さん、私、頑張るよ。

将来、貴女の様な強くて繊細で、やさしくて思いやりのある母親になれるように。

これからも、父、兄のこと、親戚のこと、私のこと、そして私の新しい家族のこと、天国から見守っていてください。

けい

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2008年7月26日 (土)

日本旅行記6~あ北の国から-山菜取り

秋田の両親の家は四方を山で囲まれた、自然あふれるど田舎です。

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7年ほど前は携帯電話の電波はドコモ意外届かなかったほどです。

ちなみに、その当時最寄のコンビにまでは車で40分、最寄のマクドナルドまで車で1時間走らなければなりませんでした。

今でも熊が出ると、『OO地区付近に熊が出ました』と熊注意報が流れます。

おいしい空気とおいしい水そして山の恵みに囲まれているこの地での生活は結構快適です。

この間、私の叔母から『ワラビ取りに行くか?』と誘われた。

ワラビは山菜の一種でワラビもちの原料としても有名ですよね?

『行く!』と二つ返事でおばとワラビ取りに出かけることになった。

早朝5時起きし、6時に叔母と待ち合わせして、叔母の車で山に行った。

叔母は自分のワラビ取りのポイントに案内してくれた。

長袖、長ズボン、両手には軍手、肩からワラビを入れる袋を提げ、腰には熊除けの鈴をつける。

おばの後を付いて山道をどんどん登っていく。

途中から道なき道を生い茂った夏草を掻き分けるようにずんずんと進む。

ワラビは密集して生えるので、もう伸びきって食べられなくなった親ワラビの根元を身をかがめて探す。

あった!

ぁ、ここにも!

山のエキスパートの叔母はワラビに導かれるようにどんどんと山奥に入っていく。

私は叔母についていくだけで精一杯。

    ぇ? もしかして、私このまま山に捨てられるのかしら?

と、不安がよぎる。

それでも、目が山に慣れると、ワラビがにょきにょきと生えているのが見えてくるから不思議。

私も叔母も無我夢中でワラビを取った。

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私の戦利品はこちら!!

叔母はこの3倍ほどの収穫。

さすが山のエキスパート!!

このワラビ、ちゃんとあく抜きをしないとおいしく食べられない。

叔母が私にあく抜きの仕方を伝授してくれた。

2008kayano_japan_075 そして、あく抜き茹で上がったものがこちら!

2008kayano_japan_078 これを切ってマヨネーズしょうゆまたは酢味噌でいただきます!

すごくおいしかった~~~~~~~~~~~~~!!!

「夏のワラビは嫁に食わすな」と言われる理由がうなずける!!

本当に至福のひと時でした。

山の自然万歳!

山菜万歳!

  けい

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2008年7月22日 (火)

日本女性は美しい!

今日は酔っ払いのたわごとだと、聞き流してくださいね~~~~。

日本のテレビが久しぶりで、面白くて色々見てます。

今夜は『ビューティーコロシアム』を特番でやっていたのを見ました。

出演者の方の9割が、『小学校の頃から外見でいじめられていた。』『いじめが原因で自分に自信が持てない』『馬と言われていた』『ゴリラみたいと言われた』といろいろ外見のことについて主張されていました。自分の外見にコンプレックスをもたれていたのですね。

私にも、もちろんいじめられた経験があります。
それも、外見のことで色々と男子生徒から『ぶす』と言われたり、からかわれた経験もあります。
中学生時代は男子から『スロース(映画グニーズに出ていた怪物の名前)』とあだ名をつけられ、しかも、その当時好きだった先輩に黒板に『スロース死ね!』と書かれたこともあります。

今は笑い話ですが、その当時はやはり乙女心に傷つきましたよ。

でも、女子生徒に嫌われていなかったので、それだけが救いでした。

もちろん、片思いの先輩や同級生の男子生徒にもことごとくふられましたし(笑)。

その当時は『十代は女性を外見で判断する男性も多いだろう。』と諦め、二十代からが私の時代!外見ではダメだけど、内面、性格だけには自信があったので、私の内面を見極めてくれる男性とご縁が有ればいいなと思っていました。

25歳までに彼氏が出来なければ結婚相談所に行こうと本気で考えていました。

番組の「ビューティーコロシアム」的には主張率を取るため、番組を面白くする為と色々な事情があるのかもしれませんが、日本女性は綺麗だと思うのです。

肌も綺麗だし、年齢も若く見られるし、思いやりややさしさもあるし。

外見だけが全てではないのだと思うのです。

私の親友Fちゃんのお母様は『男は上の口(胃袋)と下の口でつかむもの』とおっしゃられていました。

私も同感です! 

日本女性はすごく綺麗で世界中でもてます!

どうか、自信を持ってください。

あなたは美しい!!

自信を持ちましょう!

  酔っ払いけいのたわごとでした。

けい

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2008年7月20日 (日)

母とコーヒーと私

今日は母の命日。

母が肺がんでこの世を去ってから、丸5年になる。

この五年間、どうしても忘れられないことがある。

どうして、あの時あんなことを言ってしまったんだろう?

と後悔をしていることがある。

母が亡くなる2ヶ月前に私はそれまで勤めていた東京の病院を退職し、秋田にいる両親の家に引っ越した。

引っ越してからすぐに、母は肺炎を患い近所の病院に入院した。

抗生剤の投与のおかげで1週間で退院できたが、在宅酸素使用が不可欠となり、台所に立つ体力もなくなっていた。

引っ越してからは3度の食事の支度、その他家事全般は私の仕事となった。

その週は東京から兄が仕事の休みを取って遊びに来ていた。

久しぶりに家族全員が集まる、食卓も賑やかだった。

我が家の朝食のメニューはいつもコーヒーと自家製のパンと決まっていた。

母はコーヒーにもこだわりがあり、豆はいつも『ハイマンブレンド』でそれも毎月横浜のコーヒー店から郵送してもらっていた。

豆をミルでひくのはいつも兄の仕事。

母はあのコーヒー豆を引く音とコーヒーの入れたての香りが大好きだった。

その朝もいつもと変わらず、私が朝食の支度をして、兄を起こした。

兄はいつものように豆をひき手際よくコーヒーを入れる。

母が酸素吸入機の長いチューブを引きずって起きてきた。

「ご飯できたよ。早く食べよう。」

席に着くのを促すと、もう既に食卓に淹れて置いてあったコーヒーポットを見て母が言った。

「コーヒーを入れなおして頂戴。」

私はその一言に年甲斐も無くカチンと来てしまった。

「入れたてのコーヒーが飲みたいの。こんなんじゃもう香りが飛んじゃっているじゃない。」

え? と母の顔を見る兄。

むっとする私。

「もういいじゃない、もったいない。そんなに変わんないよ!明日からはちゃんとお母さんが起きてからコーヒーを入れるようにするから、今日はこれで我慢して。」

それ以上、口を利きたくなかった。

わがままにもほどがある!

と、すごく頭にきていた。

その2ヵ月後に母はこの世を去った。

あの時どうして淹れなおしてあげられなかったのだろうとすごく後悔している。

その後、数えるぐらいしかこのコーヒーを愉しむことが出来なかったのに。

その日その日の朝のコーヒーをどれだけ楽しみにしてたのかも知らないで、あんなにひどいことを言ってしまった私。

ごめんね。 お母さん。

天国でもコーヒーを愉しんでくれているといいなぁ。

  けい

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2008年7月19日 (土)

日本旅行記5~あ北の国から-掃除編~

おひさ~!

今は秋田の両親の実家にいます。

更新サボって何していたかというと・・・。

 もちろん  掃除 です!!

なぜか、家族が集まると始まる大掃除。

今回もはりきって大掃除しました!

いつもは父一人で暮らしているこの家、1年ぶりに帰ってきてキッチンの汚さにそりゃあもうびっくり!! & がっかり・・・。

所詮男の一人暮らし、こんなものなのか?

それにしてもひどすぎる!!

1日がかりで手分けしてキッチンとリビングの掃除からはじめました。

先ずは換気扇から始まり、壁そしてコンロ周り。

今回は帰りの電車で読んだ本に書いてあった「重曹水」というのを試してみた。

『重曹水』とは水200CCに重曹小さじ2杯を混ぜたもの。

それを空になったスプレーボトルに入れ、汚れに吹きかける。

これが・・・・  面白いほど良く落ちる!!

私はこの重曹水にEMWと言う家庭用品酢をちょこっと足して使用。

あのキッチン周り特有の油+埃汚れもスパッと落ちます!

2008kayano_japan_028 キッチン横の窓のサンにこびりついた汚れもこの通り!

左は重曹水使用後。

あまり汚れがひどい時はペーパータオルを敷いて汚れを重曹水でパックしてもOK!

しかも、天然素材だから万が一口に入っても安心です。

漂白剤も強力な洗剤も全然必要なし!

ただし、アルミニウムや白木の木材には使用できませんので、使う前に隅のほうでちょこっと為してから使用してくださいね。

キッチンのギトギト換気扇もコンロにも大活躍したのが、オーストラリアから持ってきた『Easy-off Oven』と言うオーブンクレンザースプレー。

2008kayano_japan_032 こ~~んなギトギトも!
スプレーをして15~20分ほど放置するだけで

2008kayano_japan_033 2008kayano_japan_036                            
こんなにぴかぴかになりました!

そして! コンロのこびりついた焦げ付きや油汚れも・・・・・

2008kayano_japan_0442008kayano_japan_046 ここまで綺麗になりました!

これ、すごくねぇ??

でも、このスプレーすごく『猛毒』です。

手袋、マスク、めがね着用はもちろんのこと、肌に付くとぴりぴりするので長袖着用をお勧めします!

換気も十分に行ってくださいね!!

マジで、死んじゃうよ!

2008kayano_japan_025 こんなだったキッチンも・・・

2008kayano_japan_047 頑張りましたよ~~~!!

なんか、私もしナースで食っていけなくなったとしても、掃除で食っていけるかもしれない?とひそかに感じた瞬間でした。

けい

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2008年7月14日 (月)

日本旅行記4~視力強制その4 術後レポート編~ 

『人生バラ色』って、きっとこういうことを言うのだろう。

この視力矯正手術を受けて、改めて思った。

手術直後は麻酔や開眼器を使用したせいもあり瞼がず~~~~~んと重く、なかなか目が開けられなかった。

診察が終わり帰る頃になると眼は開けていられるようになるが、霞がかかったような視界で、プロテクト用のサングラスをかけないとまぶしい感じ。

生まれたての子猫や赤ちゃんってこんな感じに世界が見えるのだと思った。

1時間もするとかすみ目も落着き、だんだんと周りがはっきり認識できるようになっていた。

帰りの電車では、眼鏡をかけてもよく見えなかった2つのドア先の吊革広告の文字も見える!!

目に映るものがすべてくっきり!! はっきり!!

  目を細めなくても見える!!!

手術翌日検診では視力を測りどのくらい改善したかを調べる。

裸眼で右0.1、左0.2

眼鏡矯正で右、左、1.5 だった私の視力。

術後は両目ともに2.0までに回復。

  そりゃあ、よく見えるわけだわ・・・!!!

術後はドライアイになりやすくなるけど、処方された目薬をきちんとつけていれば大丈夫!

目のゴロツキもなく、目が重い感じも翌日目覚めた時にはすっかりとれていた。

何といっても、起きた時から、寝る直前まで見えるのだ!!

これは世界が変わるよ!!

目が見えるって素晴らしいと毎日実感してます!

  けい

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2008年7月11日 (金)

日本旅行記3~視力強制その3 OPレポート編~ 

手術日(OP)は朝から忙しかった。

手術時間は午後3時20分を予約していたが、術前オリエンテーション時に「術後1週間は美容院には行けなくなります。(目の感染予防のため)」と言われたため、来週に予定していた美容院の予約を手術日の午前中に早めたからだ。

おなじみの美容院で髪も洗ってもらい、カットそしてパーマもあててみた。

ふわふわと弾む髪をなびかせ、クリニックに向かう。

OP後本当に見えるようになるのか?
失明したらどうしよう?

などの少し不安はあったが、それ以上にOP後に対する期待のほうが勝っており心も弾んでいた。

そんな私の心境を踏みにじるかのようにお昼に同じOPを受けた「ツヨリン」からメッセージが入る。

『フラップ作成時はプチ痛かったけど、あとは大丈夫。がんばってね!』

     ぇ? 痛いの??

  不安倍増・・・。

    でも、「プチ」痛いだし・・・・。

        プチなら耐えられるかも?!!

           持前のプラス思考で不安無理やり軽減

クリニックに着いて受付と会計を済ませると、再び視力の最終検査。

その後OP前のDr診察を待つ間に手術の過程に関する最終オリエンテーション、術後の注意事項そして点眼薬の説明が行われた。

患者数は結構多く、患者たちは8人ぐらいのグループに分けられ、まるでツアー旅行者のように看護師さんに導かれ、13階のOP室のある階へ移動。

ロッカーに荷物をすべて置き、待合室でOP用キャップ(薄い紙でできたシャワーキャップみたいなもの)をかぶらされ、首からはフルネームがひらがなで書かれたネームタグをかけられる。

  おぉ!! いよいよだね!!

と緊張に包まれる部屋。

   ~~~~~~~~~~~~~~~

ここで、少し手術の流れを説明しておこう。

「イントラ室」と呼ばれる部屋で『フラップ』を作成します。

①局所麻酔の点眼後、眼球を固定する器具を付けます。

②イントラレースFS60レーザーを照射しフラップ(ふた)を作成します。

   ↓

フラップを作成したら、「エキシマ室」へ移動。

「エキシマ室」ではエキシマレーザーを照射し、近視、遠視、乱視を治療します。

①まぶたを開く器具をとりつけ照射の準備をします。

②フラップを開いてエキシマレーザーを照射。

③フラップを元の位置に戻して点眼消毒を行いOP終了

  所要時間は約10~15分

   ↓

回復室に移動しフラップを安定させるため15~30分安静に休む。

最後に医師の診察を受けなにも異常がなければ帰宅。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~

待合室から一人一人担当の看護師さんに誘導され、麻酔、消炎、抗生剤の点眼薬を付けられる。

そして、イントラ室へ!!

歯医者にあるようなイスがフラットになっておりそこに横たわる私。

看護師さんたちが手際よく滅菌ドレープを首に掛けたり、私の体の位置を直したりする。

        私はまさにまな板の上の鯉状態。。。

麻酔の点眼が追加され、椅子が反回転しレーザー台の下に移動し固定されると、ドクターが私の頭の上から顔を覗き込む。

そして眼球を固定する器具を上まぶたと下まぶたに滑り込ませると、私はもう瞬きができなくなった。

「は~~い。それではレーザーかけますね。ちょっと押されますよ~。動かないでね~。」と言うドクターの掛け声と一緒にリング状の光が近付いてきた。

「真ん中の赤い光を見てね。動かないよ~。そのまま、20秒ね~。」

眼球がすごく圧迫されて、ちょっとパニック。

たとえて言うなら、ショットグラスを目にかぶせてショットグラスの底を顔に向けて押し込むような、圧迫感。。。  痛みはないが、目ん玉押されてちょっと気持ち悪くなった。

  ぁ、ツヨリンが言っていたのはこの事か・・・・。

うぃ~~~!と心の中で叫ぶ私。

Drが「はい、順調ですよ。そのまま、そのまま、動かないよ~。」

その後ろで、15秒です。

    10秒です    5秒です。

と看護師さんがカウントダウン。

  早く~~~!! 目ん玉飛び出る~~!

Dr「はい、右目終わりね~。次左いきますね~。」

ほっとしたのもつかの間、もう一度目を変えて同じことが繰り返された。

第一段階突破!

かすんだ目のまま、看護師さんに誘導され次の部屋へ移動する。

エキシマ室 中に入ると診察台みたいなベットがあり、頭にはマッサージ屋さんが使うような後頭部がすっぽりとはまる穴があいている枕台が付いている。

そこに後頭部が収まるように横になると、またまた今度は別のドクターが私の頭上から覗き込んだ。

上まぶた、下まぶたを今度は粘着力の高いテープで上下固定しその上に瞬きができないように器具で固定された。

さっきの圧迫感からくる恐怖心で、ちょっとパニックになりそうになった。

準備がすべて整うとDrが私の目を洗浄しながら先ほど作ったフラップをめくる。

とたんに視界がぼやっとなった。

私、こう見えて先端恐怖症。

とがった物が目の前に来るとすっごく怖くてのけぞってしまう。

で、Drがフラップをめくるために使用する細い針金のような物が近づいて来た時は、さすがに怖かった。

って、そんなにはっきりは見えないんだけどね。

なんとなく、わかるじゃん・・・・。

  ぁ、来るって!!

目を触られているんだけど、麻酔のおかげで感覚がないのですごく不思議な感じだった。

Drの器具を見ないように目の前に光っている緑のライトに集中するようにした。

レーザーを当てられ、ものの20秒ぐらいで、光で目が回っているうちに終了。

洗浄して、もう片方の目もこんな風にして、5分ぐらいで終了した。

看護師さんにまたもや誘導され、回復室へ。

そこには座り心地の良いシートが用意されており、そこで診察の順番が来るまで目を閉じて20分ぐらい待つ。

この時寝てはいけないと看護師さんに注意された。

寝てしまうと涙の分泌が減少してしまうのだとか。

とにかく、終わったという安心感とどれぐらい見えるようになれるのか?という好奇心とで眠ることなく診察の時間が来る。

目をあけることが怖かった。

無事に診察も終了し、経過も安定している。

麻酔のおかげで目が重く、まるで夜勤明けで寝ていた所を無理やり起こされた気分。

目薬を処方され、帰宅となった。

診察室を出た時はまだ目がかすんで周りがぼんやりしていた。

さてさて・・・気になる結果は?

どのくらい見えるようになったかって?

それはまた次回に続く。

  けい

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2008年7月10日 (木)

日本旅行記3~視力強制その2~

何これ?

ちょ~~~~~~~~~~~ぅ見えるよ!!

詳しくは後でUPします!

  けい

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2008年7月 9日 (水)

日本帰国記2~視力矯正~

「俺さ~、今度視力矯正のレーザー治療するんだ。」

それは何気ない彼の一言で始まった。

彼とは今回横浜での滞在先「カオリン」の旦那ツヨリンである。

「しかも、今ならキャンペーン中で結構安く受けられるんだよ。」

とツヨリンは目を丸くする私に話を続けた。

私は目が悪い。

高校時代から徐々に悪くなり、看護学校時代ではメガネがないと黒板の字が見えなくなるぐらい近視は進み、看護師になる頃にはコンタクトレンズ生活、そして使い捨てコンタクトに変わり、ここ最近はコンタクトの手入れが面倒なのですっかりメガネっこ生活になっていた。

おしゃれなデザインも豊富になりメガネ生活も昔のイメージとは段々変ってきているが、やっぱりわずらわしさはぬぐえない。

4年前に秋田の眼科医に「レーザー治療」を勧められたが、保険も利かなく、しかも片目20万とまさに目の飛び出るような金額で泣く泣く諦めた。

ツヨリンが今回受ける視力矯正術はやはりレーザー治療で両目で17~18万円程度。

しかもおともだち紹介すると紹介された友達は1万5千円引き+紹介した人は4万円のキャッシュバックが受け取れるというボーナス付き!

今回の帰国でフレーム違いのメガネ購入を考えていた、

しかも、来年の教会での挙式ではコンタクトにしなきゃな~

  その為の新しいコンタクトも買わなきゃな~

    と思っていた矢先のことである

こんなおいしい話!

     私が乗らないわけないじゃないですか!!

で、早速予約してツヨリンと一緒に検査に行ってきました!

有楽町にあるのに、名前は『品川近視クリニック』

全然話が違うけど、日比谷線の「日比谷駅」と有楽町線の「有楽町」は同じ駅だったことを30数年生きてきて初めて知りました。

恐るべき東京・・・。

話を元に戻すね。

受付を済ませ、早速視力の検査、眼圧測定、角膜検査、眼底検査その他もろもろ検査のオンパレードで最後はその検査資料をもとに眼科医受診。

Drから「問題なくOP受けられますね~」とGOサインが出た。

手術日は今日の午後3時20ぷんから。

術前の説明を受けて同意書をもらい、予約完了!

ツヨリンも同じく明日OPを受けることになった。

帰りの電車はウキウキわくわく気分!!

二人で「明日の今頃はあの広告もあそこの時刻表も眼鏡なしで全部見えるようになるんだよ!」

「もう、スノボーのゴーグルもコンタクトしないでつけれるし!そこらへんの安いサングラスも買えるんだよ!」

話のネタは尽きない!

目を細めて鏡にへばりついて化粧をしなくてもいいのだ!

温泉で友達と間違えてほかの女の子に話しかけなくても済むし、

眉間のしわも薄くなるだろう。

出がけに眼鏡忘れた!

眼鏡どこ?

と探し回らなくてもいいし

酔いつぶれてコンタクト外し忘れて翌日痛い目に逢うこともないのだ!!

ぁあ!! なんてすばらしいんだろう!

ビバ! 脱メガネ生活!!

  OP後はどんな素晴らしい世界が広がっているのだろうか?

今から楽しみです!

  けい

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2008年7月 8日 (火)

日本帰国記1~涙のお別れ編~

突然ですが、日本からの更新です!

一年ぶりに昨日日本帰国!しました。

今回は旦那P助を一人パースに残し、私ひとりで帰国。

重要なことがあるとカウントダウンを怠らない旦那P助。

「あと25時間・・・。」

「あと11時間・・・・・。」

「あと5時間・・・・・・・・。」

とカウントダウンのたびに涙ぐむP助を見ていたたまれない気持半分。

   一人日本帰国うきう気分半分。。。

空港で別れを惜しむ二人、

「一緒に来る?」と何度も誘ったけど、

「仕事しなきゃいけないし、お金も貯めないといけないから、今回はパス」と断り続けたP助。

空港のDOMOカフェで今になって「おれの決断が間違っていてた。何で一緒に行くことにしなかったんだろう。こんなに離れるのがつらいなんて・・・。」とうるうるするP助。

   なんか、もう、一生会えないみたいじゃん・・・。

           大袈裟だな。。。

「後から来ればいいじゃん?」という私、

『P助のパスポート私が日本に持って行くから、あなたオーストラリアから出れないか。』と気がついた。

(今回日本で婚姻届を出す時に彼のパスポートが必要だったため。)

「パスポート日本から送るよ?そしたら後からでも来れるよ。」

と付け足した。

「いいよ。おれは大丈夫だから。」

と全然大丈夫そうじゃない顔で大丈夫と強がりを言うP助。

後ろ髪をひかれる思いで飛行機に乗ったが、成田に着いて、ショッピングセンターに行ったらもう楽しくって楽しくって!

P助のお言葉に甘えて、日本思いっきり満喫したいと思います!

P.S. 婚姻届無事に受理されました!

  けい

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2008年7月 4日 (金)

追試

この間、Medical Terminologyのコースでスペリングテストをして見事に赤点を取り、追試になったことを書きました。

その後、テストに出るMedical Termをテキストから抜き出して、書き取り練習。

今度は夜勤中に同僚のナースにMedical Termのリストを読み上げてもらって、実践さながらのスペリングの練習。

練習するにしたがって、最初は半分以下だった正解率も徐々にアップし、追試直前には70%の正解率までアップした。

  よしよし!いいぞ!いけるかも!!

と期待半分・・・

でも、本番では80%以上正解しないとパスにならない。。。

本当にいけるかな?

  ま、何とかなるかな?

と諦め半分。。。

そんな気持ちで昨日の夜、夜勤入り前に追試を受けに先生のオフィスへ向かった。

前回のごとく、先生が40問リストから単語を読み上げる。

 !  !!  !!!

前回はうる覚えで???はてなマークばっかりだった単語も、書けるようになっていた。

もしかしたら? もしかする??  かも???

追試終了後早速答え合わせ。

結果は40問中29問正解で不合格。

パスするにはあと3点足りなかった。。。

前回のテストに比べると倍以上の正解率である。

不合格だったけど先生は『よくがんばったわね。すごく勉強したでしょう。惜しかったけど、良くできたわね!!』とほめてくれた。

嬉しかった。

不合格になったので、このコース修了サティフィケートはもらえなくなっちゃったけど、出席したサティフィケートは出してくれることになったので、まあよかったかな。

そして、引き続きこのコースを終わりまで受けることにした。

やることはやったので、不合格でもあまり悲しくなかった。

それに、前回以上に結果が残せてよかったと思っている。

これで、ゆっくり日本で羽が伸ばせそうです!

   けい

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