留学生活

2007年7月16日 (月)

タイミング

ここ1ヶ月ぐらい前から、病棟の人手不足緩和の対策として、私の病院ではPCA(看護助手)を雇うようになった(エージェントから)。

はじめはPCAをどう使っていいものかと戸惑っていたし、彼がどこまでできるのかがわからなかったので、仕事を与えられずに廊下で座って雑誌を読んでいるPCAさえいた。(ナースは相変わらず忙しいのに!)

最近ではPCAにもなれ効率よくケアが進むようにうまく操れるようになってきた。

PCAも何度かうちで仕事をしてなれてきている。

このPCAとしてあるいはガード(見張り)として私の病棟に仕事に来る人は学生が多い。

学生の中でも看護留学生も多い。

高い留学費を払うために、PCAとして働きながら大学に通っている彼女達。

ほとんどはECUに通っている。

私が日本から来たとわかると、

「どこの大学だったの?」

「IELTSで7取れたの?」

と聞いてくる。

「私の時はまだ看護協会(NBWA)の規定が変わる前で、英語のコースをパスすればIELTSは要らなかったの。」

と説明すると、みんな口を揃えて

  『ラッキーだね!』

と、言う。

やはり英語の壁、IELTS7ポイントの壁は高いようだ。

であった看護留学生の中の一人は、私と同じ時期にパースに来たにもかかわらず、英語コース、看護学士を違う大学でとり、看護登録をするのにIELTSが足りず、修士課程を勉強しながらIELTS7の取得に励んでいる。

本当にタイミングだなと思う。

もし、半年または1年出国を遅らせていたら、ここで働きに来ているPCAは私だったかもしれない。

私は本当にラッキーだと思う。

彼女達にも決して諦めずに頑張ってほしい。

  けい

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2007年2月28日 (水)

卒業式

2月24日土曜日に私の大学の卒業式がありました。

日本から来た父も兄もそして彼氏のPちゃんも参加してくれました。

式は夜の7時15分からリハーサルで30分から開始となる。

6時30分には会場となる大学の広場の横にある本屋さんの前で友達やその家族と待ち合わせ。

私は黒のドレスを着て参加しました。

Kay_graduation_045 みんなで早速記念撮影開始!

そしてその日の朝に受け取りに行った、式で使うガウンとたすきと角帽を身に着ける。

さらに記念撮影は続く。

Kay_graduation_052 このたすきの色は学部によって色が分かれている。

看護学部は薄い水色。

そんなこんなで、写真撮影をしている間にあっという間に式の時刻になってしまった。

係りの人の案内で卒業生が着席する。

そして注意事項の説明の後、早速式が開始された。

式は屋外で行われ、当日は雷雨の天気予報が出ており決行されるのかどうかが心配されていたが、私の行いが良かったせいか、天候にも恵まれた。

大学の偉い人たちが次々と拍手で迎えられた。

Kay_graduation_142 「まるでハリーポッターでも見ているみたいだった。」

と兄の感想。

確かに言えてるかも。

国歌斉唱の後はすぐに卒業証書授与にうつる。

一人一人名前が呼ばれ、舞台の上で卒業証書をもらう。

大画面のモニターが部隊の両端にあり、後ろの方の家族の観覧席からでも見えるよう、一人一人の顔が映し出される。

Kay_graduation_152 こんな感じ。

←ちなみにこれ、私です。

自分の番が終わればなんてこと無い、後は速く終らないかな~と退屈になるだけだ。

何せ生徒が400人以上はいるものだから、そんなに早くはおわらない。

途中、お偉いさんのスピーチも含めてたっぷり2時間。。。

最後の生徒はみんなからの「これで終わる~」と言う拍手喝さいの嵐だった。

式の最後は音楽にあわせて花火が上がる。

すごく綺麗だった。

式の後は家族と彼氏とそして友達とまたまた卒業証書を持っての記念撮影。

Kay_graduation_215 これは、プロの方にとってもらう時に横からPちゃんが便乗して取ったもの。

なかなか綺麗に写ってます。

そんなこんなで、全てが終わったのが11時過ぎでした。

さすがの私もヘトヘト。

父と兄をホテルに送り、家に帰ってバタンキュ~でした。

いまだに、卒業したと言う気がなかなかわかないのですが、卒業証書に書いてある私の名前を見てしみじみする私です。

Kay_graduation_222 ←卒業証書

最後にPちゃんの許可が出たので、初公開!!

Pちゃんと私のツーショット公開!!

Kay_graduation_047

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2007年1月26日 (金)

小さな町のカバーガール

私のエージェントが発行している無料冊子「月間まっくす」のカバーガールになりパースシティーをにぎわしている私なのですが、

(ぃぇ、実はそうでもないんですけど)

この度、秋田の英会話教室の友達、M姉さんからメールをいただいた。

父がエージェントから送られたその冊子を英会話の友達に見せた事から、話は膨れ上がり、今度、英会話教室が行われているコミュニティーセンターの掲示板に載せてもらえる事になったとのこと、

そして、私のOKが出れば私が以前、パースに来るまで勤めていた病院にも掲示したいとの申し出だった。

その病院は今、他の病院との合併問題の渦中にあり、私のやり遂げた事が他の病院スタッフの励みになるのではないか、とメールに書いてあった。

もちろん喜んで申し入れを受けました。

在職中にお世話になった病院職員、そして患者さん達に私の晴れ姿を見せることができるなんて、願っても無いことだ。

私の知らない所で、様々な問題がおきていて、頑張っている人たちの励みになれればこんなにうれしい事は無い。

しばらくはこの秋田の小さな田舎町でも私の顔が幅を利かせそうです。。。

けい

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2007年1月20日 (土)

遠い日本

遠い、遠い日本。

ここパースからは直行便でも日本の成田まで10時間かかる。

今は、インターネットや携帯電話、国際電話の普及で声だってすぐに聞けちゃうし、電話で話している分には距離はさほど感じない。

でも、日本は実はとても遠かったのだと実感させられたお話。

昨日私の日本人の友人Aちゃんをパース国際空港まで送りにいってきた。

Aちゃんは当分日本に帰る予定なんて全然なかったのに、どうして?

それは2日前に彼女の大親友B君が雪道で事故を起こし入院してしまったから。

その知らせを聞いた彼女は今月末に日本行きの飛行機のチケットを取った。

彼女には仕事も入ってたし、B君もそれまではなんとか回復するだろうと思ったから。

昨日はB君が顎の手術を受ける予定だったが、状態が思わしくなく手術は延期になったと連絡を受けたらしい。

手術も受けられないほどって・・・。

彼女の胸に不安がよぎった。

いてもたってもいられない。

今すぐ飛んでいかなきゃ。

彼女は急遽飛行機の予約を変更した。

仕事もキャンセルした。

部屋も汚いまま、何も手につかないまま、私に電話をかけてきた。

「B君が死んじゃう。私帰んなきゃ。お願い空港まで送って。」

B君のことは彼女から話はよく聞いていた。

彼女とB君は同じ地元の同級生でお互いの事は家族以上に知っている。

B君は来月に彼女に会いにパースに旅行に来る予定だった。

私もその時に彼に会うのを楽しみにしていた。

そして突然の事故の知らせ。

人間は失った時に初めてその事の大きさを知る。

どれほど自分を支えてくれていたのか、

どれほど自分に影響を与えてくれていたのか、

どれほど自分が頼りにしていたのか、

どれほど大切な人か、

どれほど愛していたのか。

電話口で話しているときはあまり気がつかない。

だって、話したい時にまたいつだって話せるもん。

でも、B君は今はICUのベットの上だ。

Aちゃんの声は届かない。

昨日の夜、不安ではちきれそうなAちゃんを乗せて、パース国際空港へ向かった。

こんなとき誰でも自分に翼があればと思う。

時間も気にせずに、すぐに飛んでいけるのに。

遠い遠い日本。

もう、今頃はB君の顔を見てホッとしているかな。

B君頑張れ!

来月Aちゃんが笑顔でパースに戻ってくる事を心から祈っている。

日本からは遠い遠いここ、パースで。

けい

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2007年1月11日 (木)

カバーガールを探せ!

うっひっひっひ!!

念願のカバーガールになりました!

パースでお世話になっているエージェンシー(パース留学センター)が毎月無料雑誌『まっくす』を発行しています。

その2007年1月号の表紙として私の写真が!そして4ページには私の留学体験記が掲載されました!!

    留学体験記はこちらをクリック!

    PDFだと雑誌がそのまま閲覧できます!

本名バッチリ載ってしまっているけど。。。ドンマイ!

年齢までは載らなくて ほっっ・・・。

これから1ヶ月パースの町に私の顔が~~~!!

ちょっと恥ずかしいけど、すごくうれしい!

これを読んで私の後に続いてくれる人が増えればうれしいです。

エージェンシーの人が日本にいる親にもこの雑誌を何冊か送ってくれたらしいのです。

この間父に電話したら、「早速、近所や親戚に配ったよ。」と父。

小さな町だからね。。。ちょっと恥ずかしいけど、

親の自慢になれるのはちょっと親孝行した気分です。

ちょうど、父の家に帰省していた兄が雑誌の中に掲載されている私のかお写真を見て一言。

「中の写真はケバイね。」

だって・・・。

スイマセン・・・・。

けい

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2007年1月 9日 (火)

終了!!

昨日、やっと残りのアサイメント・レポート3つを提出してきました。

これで、本当におしまい!

!!!!!NO more assignment!!!!!

いぇ~~~~~~~~い!!

すごく嬉しくてたまらない!

もう、参考文献を探したり、読んだり、要約したり、文法気にしたり、文法をチェックしてもらったり、文字数気にしたりしなくてもいいのだ。

  くぅ~~~~~~~~~~(嬉涙)

嬉しい!嬉しすぎる!!

思い起こせば、前期には5週間の間に5つアサイメントの提出があったり、しかも文字数がすごく多くて、何書いていいのかもわからなかったし。。。。

あんな状態でよく切り抜けられたな~、としみじみ思います。

英文って書いてれば慣れる物だけど、ちょっとブランクがあるとすごく思い出すのに苦労する。

もう、あんな苦労を二度としなくてもいいのだ。

もう、『提出日ぎりぎりになってもアサイメントが出来上がらない』と言う悪夢に悩まされる事無くぐっすりと寝ることが出来るのだ。

ちょっと寂しい気もする・・・・・。

なんて絶対に思わないけど、

今は大学の課程を全て修了したご褒美に、自分をうんと甘やかしてあげようと思う。

よくやった! 私!

頑張った! 私!

そして、みなさんありがとう!!

けい

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2006年11月14日 (火)

カツを食べて試験に勝!

いよいよ明日がファイナルエクザム!

オーストラリアに来て、大学に入ってから、
ファイナルエクザムの前には必ずやって来た事がある。

  それは、『トンカツ』を食べる事。

そう!トンカツを食べて試験に『勝つ』と言うゲンかつぎだ。

これは、英語のブリッジングコースのファイナルエクザムの前にFちゃんが、トンカツを揚げて食べさせてくれたのが始まりだった。

前回のセメスターのファイナルの時も大学の近くの日本食レストランでトンカツを食べた。

今回も、ゲンかつぎのために、Fちゃんと恒例のトンカツを食べにUNIの近くのレストランへ行った。

  が・・・。

火曜日は定休日で、その近くにあるもう一軒も覗いてみたが、お休みだった。

ここまで来たらなんとしても、食べたい!
食べなくては気がすまなくなってきた。

場所を変え、UNIから車で10分ぐらい行った所にある、カルーセルショッピングセンターの中に入っている日本食やさんへ行った。

トンカツは無かったが、チキンカツはあったのでそれを2人で注文した。

チキンでも豚でもカツは「勝」なのである!

値段はちょっと高かったが、ボリュームがあって大満足。

これで、明日の試験はバッチリかな?

頑張ってきますね!

けい

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2006年10月27日 (金)

父健在

昨日、父の入院している病院に電話した。
電話口に父が出て、思ったよりも元気そうで安心した。

「ぃゃ~、すぐに退院するし、心配かけちゃいけないと思って。ごめんね。」

と父。

「も~~~!!お兄ちゃんも教えてくれないなんて、あんた達は~~!!!(怒)」

と、ガツンと言ってしまい、少しシュンとしていた父。

でも、たいした事無くてよかった。

家の畑も終わって、家に帰っても一人だしすること無いから、後もう少し入院していくとの事。

病院はホテルじゃないのよ!!
わかってるの?
まったく!!

でも、声聞けて良かった。

けい

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2006年10月26日 (木)

自由の代償

10月10日は父の誕生日だった。

電話ができなかったので、おめでとうのメールを送り、その後も電話をかけていたが誰も出ない。
またどこかほっつき歩いているのかと思ってさほど気にしていなかったが、さすがに何回も電話してでないと気になる。
メールも返事ないし。

母が3年前に無くなり、私が実家を出てから、父は一人暮らし、近所に住んでいる叔母や友達がご飯を作ってくれたりといろいろ面倒見てもらっている。

昨日の夜、叔母に電話してみた。

やっぱりね、父は入院していた。

5年前に胃がんにかかり、手術で胃を半分摘出している父。

その後も、逆流性食道炎や食道潰瘍を繰り返し、入院していた事もある。

今回は消化不良で入院したらしい。
癌の再発ではないと叔母は話してくれた。

『お父さんにはあんたに電話しなさいって言っておいたんだけど。』

      ぃぇ、何も聞いてませんけど。。。

父よ・・・。

もう一つ、私の祖母(100歳)が父の入院と同時期に亡くなっていた。
心不全と老衰だったらしい。

そんな事も聞いていなかった。

海外で生活するというのは、こういうことなのか。

日本にいるなら、簡単に連絡もできるが、海外となると話は別だ。

私はこっちに留学する時に、父と兄に話しをしてきた。
「親の死に目に会えない事を覚悟で行きます。」と、
だから、もし万が一、父や兄に何かが起こって、死に目に間に合わせたいからと延命処置をすることはやめてとも言ってきた。

すごく冷たく聞こえるかもしれないが、私はこういうケースを沢山見てきたから。

父も兄も理解してくれた。

でも、やっぱりいざとなると、後悔するのだろうか?

自分が自由に好きなことができるということは、誰かのサポートがあってこそできるのだと再確認した。

この自由の代償は大きい気がする。

叔母から父の病院の電話番号をもらったので、今日にでもかけてみよう。

けい

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2006年10月22日 (日)

Love Strategy

今週末はアサイメントが終わってから、いろいろと遊び歩き、忙しかった。

そんな中、とても楽しみにしていたワークショップに行ってきた。
その名も「Love Strategy」!

パッチ・アダムスをご存知ですか?
↑彼のインタビュー(日本語)はこちら

ずっと前に、彼の映画をロビン・ウィリアムスが主演してすごく話題になりました。

そう、そのパッチがオーストラリアに、そしてこのパースにやってきたのです!
その講演会に申し込み、昨日、行ってきたんです!

その前の金曜日に友達と遊びすぎて、すっかり寝過ごしてしまい。
会場に1時間遅刻してついた。

最初の1時間30分はLove Exercisesと称したエクササイズで、私はこれを半分以上参加できなかった。(寝坊したから・・・。)
エクササイズの模様はこちら!↑

2人一組になって行うこのエクササイズ、ちょっと代わってて面白い。
例えば、2対で向かい合って立ち、片方の人が相手のほほを包むように顔に手を当て、目を見て「I love you」と言い続ける。
言われた方は、何もせず、ただ相手の顔を見ているだけ。

例えば、一人が相手に膝枕し、その膝枕してあげている相手を癒すようにタッチングする。
この時、膝枕してあげている人は、ひざに寝ている人は今、世界で一番病んでいる人を想像し、その人の苦しみを癒す事を想像して接する。

ひざに寝ている人はただリラックスしていればよい。

こんな感じ、エクササイズはペアでパッチの誘導によって交互に行い、
エクササイズごとにペアを変える。
もちろん知らない人と組む事になるし、異性と組む事になることもある。
すごく恥ずかしいが、やっていると、人はみんな愛に飢えているのだと感じた。

私はこのエクササイズをしながら母のことを思い出した。

私はこんな風に母に接してあげられていただろうか?
もっと、愛していると伝えていればよかった。

文化の違いもあり、日本ではなかなか愛を口にすることは難しいけど、
人間の根本は同じなのだと思う。

孤独に愛に飢えながら死んでいく人が沢山いる。
そんな病んでいる人に、愛していると伝えるだけでどれだけ満たされるだろうか。

今、この瞬間は貴方との時間を共有している。
人はみな愛されたいのだ。
私だって、愛されたし、愛したい。

そんな事をこのエクササイズで感じた。

いかに患者さんと心を通わせるか、難しいけど、実はとても単純な事かもしれない。

それは「ありのままに受け入れてあげる事。」
ありのままを受け止め、それでも愛しているよと言ってあげられる事。

これができたら、最高だろうにね。

エクササイズの後はパッチ・アダムスの講演会でパッチが3時間ノンストップで話し続けた。
話の中には、ポエムがあり、ジョークがありそして歌がありと、
すごく楽しかった。

彼が話した中でロマンスのLove Strategy で4Aと言うのを話してくれた。
4つのA を与える事。
Attention
Affection
Anticipation
そしてApliciation

そして、Love Strategyとは
・Attention
「I will be loving。」と思い込むこと。
・Performance
Performerになろう。
・Consequence
その結果によって自分のパフォーマンスを変えよう。

と、言っていた。

とても興味深いワークショップだったよ。

あなたのLove Strategyとはなんですか?

けい

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